雨上がりの日曜日、西予市明浜を訪ねてみた。
詩人 塔 和子
西予市の12月の広報誌はすごい! 表紙から15ぺーじを思いっきり使って、田之浜出身の詩人、塔和子さんの特集を組んでいる。塔和子さんというのはペンネームで、生涯本名を明かさなかったが、12歳でハンセン病を発病し、香川県の大島青松園に強制隔離され続けた人だ。ハンセン病が治癒できるようになって恐ろしい伝染病ではなくなってからもふるさとへ帰れず、差別と偏見の中で、ぎりぎりの淵から生きることの意味を問う、切なくも暖かい詩を多く残し、昨年83歳の生涯を閉じた。
冬晴れを煌めきとおす明浜湾
塔和子の詩碑に雲吹く風渡る
寒の海 光の帯をゆく漁船
塔和子の詩碑が建つのは、故郷田之浜より少し手前(東)の、高山地区というところにある、
「あけはまシーサイド・サンパーク」の高台だ。大早津海水浴場として、夏は賑わっているのだろうが、
この時期訪れる人は少ない。
地下60メートルくらいから海水を汲みあげたお風呂、「塩風呂・はま湯」が面白そうだったので、
一風呂浴びた(*^。^*)。 11月の有明海を臨む
露天風呂に続いて、宇和海は明浜湾を臨む海水露天風呂を体験。
極楽極楽。
塩風呂や宇和の寒潮なめてみる
冬凪に和子の波濤 静めやも
明浜町歴史民俗資料館
「あけはまシーサイド・サンパーク」にある資料館を見学。例によって、こういう場合、
人っ子ひとりいない。
貸し切り状態であることがほとんどだ。引田民俗資料館しかり、小天の草枕交流館しかり、
明石の魯迅記念館しかり、熊本の旧五校記念館しかり…ほかにもいろいろ…。
運営は厳しいかもしれないが、資料の保管・管理の意味からもこうした資料館は必要だと思う。
これは明治末期のものだが、こんなにかわいいポケットサイズの読み物が出版されていたらしい。
これは、嘉永二年と書いてあるが、まさしく今わたくしが勉強している古文書がだいたいこんな感じのものだ。ここに書いてあることの意味はどうにかこうにかわかるまでになった。
(NHKカルチャー「古文書講座」に通い始めて1年4カ月)
この資料館でなんといっても興味をひいたのは、この、ご当地立体模型だ。
210年前の ご当地立体地図模型
― 宇和と俵津お境い争い ―
これは、享和4年(1804年)、宇和(宇和島藩)と俵津(吉田藩)の境界紛争で境界を証明するために作られたものだ。吉田藩士松寛兵衛と宮大工の儀三郎の合作で、材はケヤキ。馬の脊に乗せて運べるよう、25のブロックに分けて作られていて、軽くするため中はくり抜かれているようだ。ブロックをほぞ穴で組み合わすと、このとおり、縦横2.8メートルほどの巨大な立体地図となる。
驚くことに、この境界争いは、元禄5年(1692年)に始まり、文化6年(1809年)ごろから激しくなり、最終的には昭和31年(1956)年まで続いたとのことである。
このブロックが作られたいきさつは、旧庄屋井上家の文書により判明したらしいが、今私が古文書講座でテキストにしているのは、旧庄屋田中家文書である。そして、今まさに勉強している部分が、似たようなことで、宇和高山浦(宇和島藩・現西予市高山)と皆江浦(吉田藩・現三瓶)の境界をめぐる争いについて書かれているものだ。 現在は、平成の大合併で、宇和・野村・三瓶・明浜・城川がひとつになって、西予市。境界線でもめるのは、昔も今も、国の内でも外でも落着しづらく根深いものがあるようだ。
いやはや・・・。
西予市高山
旧庄屋田中家
こちらが、古文書講座の田中先生のご実家だ。いかにも元庄屋さんのお宅という構えだ。
高山地区の名所
若宮神社の河童狛犬
狛犬ではなく、「狛河童」のいる珍しい神社が近くにあった。
実物はいささか不気味なのであるが・・・失礼(;O;)
幸い、地区の篤志家によって愛嬌のある夫婦河童が寄進されていた(*^。^*)。
面白洗濯機
民俗資料館にこんな洗濯機があった。
たらいから電気洗濯機が普及するまでの2~3年使われたらしい手動洗濯機。
十秒間洗濯機
エコだな~(*^^)v。 人力最優先ののどかな昭和時代にはなかったが、
平成の世には、こんなものが登場しているのだ。
放射線モニタリングポスト
この時、39ナノグレイ/時 だった。
原発ゼロへ
「高山本浦」のバス停待合
人は安全に平和に、豊かに生きる権利がある。
そういえば、都知事選に立候補されている宇都宮弁護士も、
塔和子さんと同じ、田之浜の生まれだ。


















