田尾屋玲子堂本舗 -6ページ目

田尾屋玲子堂本舗

戦争や飢餓のない平和な世界をめざして…。

 初めての姫路!   
白鷲城、修理進む 

 またもや大幅に時期を逸してしまったのであるが…
この姫路城見学の話は、なんとなんとなんと、風薫る5月のことであった!!! (今や7月(;O;)!)
 多くが記憶から脱落しつつあるが、一応の記録として、ここに写真だけでも載せよう!(^^)!。


 国宝姫路城の大天守保存修理は、順調に進んでいる様子で、上層部が姿を現していた。せっかくの白さなのに、雲が張り出していてなかなかバックが青空にならず、残念。


 外人さんたちもたくさん訪れていて、みんなカメラを構えていた。完成オープンは来年の3月末とか。




城の中は、随所に解説があったり、資料室のような工夫もあった。若者や子どもたちが、組み木パズルや、押形遊びなどして楽しんでいた。もちろん、わたくしもやってみた(*^-^*)。



観光地には必ずある、顔部分がくりぬてある記念撮影用パネル。学生さんとおぼしき一行が、かわるがわる写しあいをしていた。これくらいのことになぜだかみんな大喜びで、大笑いに笑っていた。



  黒田官兵衛で盛り上げようと、大河ドラマ館や歴史館などを作って集客していた。




歩き疲れたわたくし、土産物屋に腰を下ろし、姫路城まんじゅうとお茶で一息つく。


姫路市平和資料館

 松山市に「平和資料館」をつくる運動の参考のため、姫路市平和資料館へ行ってみた。手柄山公園の中にある。常設展示のほか企画展示では「戦時下の看護活動」というのをやっていた。




市立の資料館、ということで常設展の展示内容はそれほど特徴のあるものではなかったが、特別なものでなくとも、まずは市立(公立)での常設館があることはいいことだと思う。一歩二歩踏み込んだ企画展示を催すこともできるだろうし、閲覧室・資料室、映画上映室、講演会ホール、会議室などを備えていれば、市民の平和学習に有益だと思う。



太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔



帰りの特急しおかぜの中では、駅弁とお茶でくつろいだ。


初めての福島ヽ(^o^)丿



松山より気温の上昇した先週、福島県郡山市を訪ねた。
この銅像のお方は、久米正雄さんだ。郡山というのは、江戸時代には小さな
宿場町だったものが、明治になって開拓され、発展したのだそうだが、
久米正雄は、開拓の祖の孫にあたるとのこと。宮本百合子も同じく、
開拓の祖の一人の孫だということで郡山に縁があり、資料展示もあった。

というわけで、ここは、「こおりやま文学の森」の中にある
「久米正雄記念館」


久米正雄といえば、漱石の長女、筆子に結婚を申し込んだが実らず、
親友の松岡譲が筆子と結婚する、という、まるで「こころ」を地でいくような
エピソードの持ち主だ。銅像のこの笑顔は晩年のものだろう。(*^-^*)





東北新幹線

今回、福島まで来たのは「全国書記学習交流集会」への参加のため。
夜行高速バスで東京まで出て、東北新幹線で郡山へ。



車体に「つなげよう、日本」と書いてある。




郡山はツツジやハナミズキが満開で、とてもきれいな町だ。




町のあちこちに、放射線のモニタリングポストが設置されている。
年間被曝量を1ミリシーベルト以内に抑えるには、
1時間当たり、0.23マイクロシーベルト以内でなければいけないらしい。





学習会では、「原発事故の実態と県民のたたかい」と題して、
事故当時のことから現在県民のみなさんがおかれている
厳しい状況などについて、お話を聞いた。



東北地方からはかなり離れている四国松山に住んでいると、
つい、震災・原発事故が次第に遠い日のことに思えてくるのだが、
とんでもないことだ・・・。ここへ来てみると、現在進行形で今も
続いてるし、何も解決していない。





「ここはいついつ除染しました。除染前は◯◯マイクロシーベルトで
除染後は◯◯…」などいう立て札や、「子どもさんを2時間以上
続けて屋外で運動させないで下さい」とか、ショッピングセンターの
上階の市民プラザみたいなところで「福島の子どもの
未来を考える会inベラルーシ」なる会合が開かれていて、
子ども連れのお母さんたちがザワザワ集まっていた。


私はつくづく「観光客」だと思った。支援と言っても、「食べて応援、
飲んで応援、買って応援」くらいしか思いつかないし・・・。


旧福島県尋常中学校(国重要文化財)


ここは、旧福島県尋常中学校(国重要文化財)なのだが、
「安積(あさか)歴史博物館」として運営されていたところ、
先の大震災で大きな被害が出て、災害復旧保存修理を
ようやく終えたばかりだ。





今は、仮オープンとのことで、入館料も無料だし、
まだ各部屋の展示はできていない状態。




オルガンあり




明治四十一年度学年試験
三ノ三、東洋史答案綴 水野幸太郎
と、書いてあるように読める。



こーんなにデカい計算尺だ(@_@)!!
やってみたいなーヽ(^o^)丿







安積開拓入植者住宅


ここまできて、松山と縁のあることを知った。
旧松山藩から入植して当地を開拓した人の旧宅が
復元されているらしい!!




これだそうだヽ(^o^)丿





全国各地から入植していたようだ。








郡山の名物は、柏屋の薄皮饅頭。
嘉永5年創業とのこと。黒船の来る前年。
店頭のマスコットおじさんがかわいくて、
つぶ餡・こし餡両方、1箱ずつ買った。




何の支援もできない無力感はあるが、きれいに咲いている花を見たり、
観光地を堪能したり、お土産を買ったり・・・そういう普通の観光客として
訪れる人を喜んで迎えてくれるような気がする。途中、道を聞いたら
とても礼儀正しく親切に教えてくれた中学生の女の子がいた。この子
たちが毎日安心して暮らせるよう、願わずにはいられない。



春一番
にぎやか手毬寿司

派手に作りすぎたが…美味しかった。
それはさておき、




毎度おなじみ
またもや、かなり時期を逸してしまったのであるが…



3・1ビキニデー

被災60年の「3・1ビキニデー」に参加した。
初参加で、愛媛からはただ一人の参加となったので、行事の流れが
よくわからず、戸惑うことも多かったが、









ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマとつながる、核廃絶と被ばく者援護の、
とてもいい集会だった。節目の年でもあり、多数の参加があった。

焼津の町を行進した。





水戸・偕楽園

水戸の偕楽園と徳川ミュージアムに一度行ってみたいと思っていた。

水戸駅夜景




梅咲き初めの
偕楽園



これが満開になると壮観だろうなー。






ちらほら咲いているのもあって


ピンクの花は、やはりかわいい(*^-^*)。


美味しそうなものは、当然胃袋へヽ(^o^)丿。


紫芋、味噌ナスのおやきも迷わず胃袋へ!!



咲きかけてる~。



ほらほら。




白梅は、満開になっている木も少なくなかった。
偕楽園までやってきたのは、梅見ばかりではない。
徳川(水戸)斉昭を訪ねてみたいという気持ちからだった。



水戸と高松はご縁が深い。ご存知、水戸光圀公は家康の孫だが、
その兄が高松松平家の初代藩主である。
また、高松松平の9代
藩主頼恕の実弟が水戸9代藩主斉昭ということになる。
偕楽園はその、斉昭が開いた庭園だ。



私の尊敬する讃岐引田出身の久米栄左衛門(通賢)の資料群が、
大変うれしいことに、このほど国の重要文化財に指定されたが、
栄左衛門はこの時代の人だ。
  


世間にほとんど知られていないことだが、初めて国産のマッチを作ったのは
栄左衛門だ。そのいきさつは…。天保9(1838)年、松平頼恕が参勤交代の際、
実弟の水戸斉昭からロンドン製の付木(いわゆるマッチ)を贈られ、
面白いと思った頼恕がこれと同じものを作るよう栄左衛門に
命じた結果、国産マッチ第1号が誕生した。

藩主同士が実の兄弟ということで、西洋のめずらしい物や情報が
やりとりされていたのだろう。徳川慶喜の実父でもある水戸斉昭は、
西洋科学技術に関心が高かったそうだ。 


梅酒大会

 
梅まつり梅酒大会に出場した!600円で、30分間、全国の
150種類もの梅酒を試飲できる、嬉しい大会だった(@⌒ー⌒@)ノ。
梅酒と言っても、イチゴや柚子、黒砂糖や抹茶などなど
なんでもありな感じだったが。酔っ払ってテントを出ると、
熱い梅茶が配られた(^O^)/。あー、ありがたいありがたい。











一人昼食大会!!
お弁当は、「黄門三昧」弁当






原爆死没者慰霊祭・墓前祭






石手川公園の慰霊碑前で、毎年春の彼岸前後の日曜日、
慰霊祭・墓前祭が行われている。




挨拶する、原水爆禁止四国コース愛媛県実行委員会実行委員長の田福千秋さん。







核兵器のない世界を願っての短歌3首

千人針千の言の葉千羽鶴核なき世界へ千の風吹く
 
寄る辺などいずこにありや花時雨核の傘など捨て去り給え
 
黄砂舞う北東アジアの春の雷いかなる時の核も許さじ