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田尾屋玲子堂本舗

戦争や飢餓のない平和な世界をめざして…。

今が「戦前」とならないために

第12回平和展

昭和20年7月26日、松山市にも大きな空襲があった。それまでにも何度か
あったが、7月26日は、市中心部が壊滅的な打撃を受ける大空襲で、松山市誌
によると、死者は251人。しかし、遺族会の方が調査を続けている空襲死没者名簿
では、500人を超える犠牲者が確認されている。






松山空襲 焼け跡のジオラマ(部分)
故藤本文夫さんが、2011年に作ってくださった。



というわけで、今年もこの時期、
「平和展」がオープンした(*^^)v



会場は、松山市総合コミュニティセンター1F展示室
入場無料
7月25日~29日の5日間





松山空襲を始め、四国、全国の空襲を知ることからはじめる「平和展」だが、
今年は、ひときわ政治情勢が不穏であるため、「昔の戦争」「戦時中」を
展示し見学してもらうだけでいいのか…実行委員会でも頭を悩ませた。




私たちが、わずかのカンパと忙しい時間を使って、手弁当で、毎年
この展示を続けている意味は、言うまでもなく、二度と再び戦争を
するような国にならないこと、戦争で人を殺さないこと、殺されないこと。





それなのに、昨年の「特定秘密保護法」強行成立、今年の「集団的自衛権」
行使容認閣議決定は、どうだろう。日本は、太平洋戦争から何を学び、
どんな教訓を得たのだろうか。

「平和展」では、集団的自衛権行使容認の閣議決定翌日(2014.7.2)の、
朝日、読売、毎日、産経、赤旗、愛媛、高知、四国、中国、山陽、東京、
沖縄タイムス、琉球新報、など、全国紙や地方紙を入手して、展示した。


わたくし自作の4枚のブラスター、なかなかの人気である(*^。^*)。
街頭宣伝等でも大活躍!!



はだしのゲン

表現が過激だとか、旧日本軍の蛮行が描かれているなどの理由で
  島根県松江市の図書
館などで閲覧が制限された問題を受け、今年は
かえって「はだしのゲン」がブームとなり、原作漫画本や紙芝居が
よく売れているという。「平和展」でも毎日紙芝居を上演し、好評だった。







「平和展」では、故大沢剛志さんが所蔵されていた平和と人権に関する大量の
書物を引き継いで保管しているが、それとは別に、子どもたちにもわかる
絵本や児童書も集めて展示している。「語り伝える空襲」「語り伝える沖縄」の
シリーズのほか、今年は「日・中・韓 平和絵本」を個人的に購入し、展示した。



「へいわってどんなこと?」「京劇がきえた日」「非武装地帯に春がくると」の
3冊と、「私の八月十五日」。これは、赤塚不二夫、ちばてつや、手塚治虫など
111人の漫画家が絵手紙の形で戦争と平和を表現したものだ。







書籍コーナーで、熱心にページをめくる方や、


感想アンケートを記入する人たち。





世界の戦争・紛争を伝えるDVDコーナーも設置。
西谷文和さんの「シリアとウクライナ最新報告」他。




資料展示

焼夷弾

あまりにも重い、焼夷弾の頭の部分
高松や岡山の空襲展示室には、焼夷弾の実物大の模型が
展示されていて、特に岡山では、焼夷弾のしくみや炸裂の様子などを
図解したビデオもあって、わかりやすい。



M69集束焼夷弾は、六角形をした弾筒部を19個ずつ二段に積み上げた
合計38個が格納された爆弾で、中にはゼリー状のガソリンのようなもの
(ナパーム)がはいっている。着弾すると爆薬が炸裂してナパームに火が
着き、建物や人間を火焔に包み込む。


当時の暮らし










昭和18年発行の児童書「久米榮左衛門」





昭和13年死去の、わたくしのひいじいさん、田尾弥之助の香典帳。
生まれは、文久2年、詫間の松崎というところ。



わたくしの父、田尾壱良の「千人針」
寅年だった祖母は、年の数だけ玉結びが作れた。


ご自分の杖を指示棒にしながら、疲れもみせず
見学者につきっきりで解説してまわる、畑野稔実行委員長。





宮内省治さんの資料コーナー


佐川一美さんの出征幟旗







見学者もふえてきたところで、


戦争体験談

高知県原水協の和田忠明さんに、戦時中のお話を聞き、
戦争のない世界をつくるためにわたしたちはどうすれば
いいか、みんなで考えた。



松山在住の天野環さん - 93歳 -


海軍の陸上攻撃機「一式陸攻」に乗って空中戦を戦った
旧海軍飛行兵だった天野さんの実話は真に迫り、壮絶さに震え上がった(;O;)。

「一式」とは、皇紀2601年(西暦1941年)作の意味だ。




「ここ、ここ」と指差しておられるのは、「ガダルカナル島の攻防」というページ。
天野さんが、第1次ソロモン海戦に電撃参加したときのことが載っているらしい。





上から2段目の左端が天野さん。




呉海兵団に入団のあと、大分航空隊、霞ヶ浦航空隊、岩国航空隊へ入隊、
 ミッドウェー海戦参加、サイパン、ラバウル、ガダルカナルへ転戦、





それらのお話の詳細はとてもここに再現できるものではないが、




銃後ではなく、前線で闘い、生死の間をさまよった人の
体験談を、はっきりした口調で、目の前で聞ける機会は
めったにない。今後どんどん難しくなるだろう。





「地球はひとつ。だから全世界が軍備を止めてその費用で貧富の差をなくし
平和な暮らしをしたら、と思い戦争体験談を話しています。」
との天野さんの気持ちを受け止め、私たちが引き継いでいきたい。









ご来場、ありがとうございました(*^^)v。

平和展主催の「松山市平和資料館をつくる市民の会」の
畑野稔会長(右)と梶原健市副会長(左)









第60回原水爆禁止四国大会in高知

このアマチュアカメラ軍団はなんだろう??



7月に、高知で開催された原水爆禁止四国大会の夕食交流会で、
替え歌「ヒミツ保護法のアッコちゃん」を踊る高知の人たちと、
あまりの可愛いさに、一斉にカメラを構える人々(笑)。




愛媛からはマイクロバスを借り切って、23人で参加した。



バスの中に、自宅のテレビを持ち込んで据え付け、
行き帰りとも、オリバーストーン監督のビデオや、
NHKクローズアップ現代など、平和と反貧困をテーマに
した教育的番組で視聴覚教室を開いてくれた和田さん。




高知城ホールで開会。
記念講演の前段で、お父さんがマグロ漁船の乗組員で、
水爆実験で被曝していた、という女性の方のお話や合唱団の
歌、各県報告となどがあった。



記念講演は、日本原水協の川田忠明さん。
核兵器をめぐる情勢、集団的自衛権行使容認のこと、
核兵器を解体する施設のこと、これからの私たちの運動、
など、わかりやすく話していただいた。




「はだしのゲン」の紙芝居。


2日目の分科会は、「被爆者と心をつないで」に参加した。
被爆から10年もの間、日米両国からの報道規制のために
何の援護措置もなかった被爆者だが、たゆまぬ運動の
積み重ねによって少しずつ援護政策が前進していった。


国民的な大運動のきっかけとなったのは、1954年の
ビキニ水爆実験による被曝だった。自らは胎内被曝のため
原爆投下の惨状は見ていない松浦さんだが、辛い体験を
された被爆者になりかわって当時の様子を報告され、
初めて聞く若い参加者の胸を打った。


休憩時間中の愛媛の2人。澄ちゃん持参のタブレットで

facebookを見て大喜びしている(笑)。




夕食交流会で、来年のNPTニューヨーク行動に参加する
決意表明をする、澄ちゃんと則子さん。がんばって!!





会場には、新婦人の会のみなさんの作った絵手紙や、
大判絵手紙が張り出されていた。












アッコちゃんを踊っていた高知のМさん。


愛媛の絵手紙。




夕食交流会での愛媛の参加者。今治タオルで作った、
原水協の「NO NUKESタオル」を披露した。会場でも販売。




「ヒミツ保護法のアッコちゃん」は、歌詞がいいのだ。

こんな感じ。↓


永瀬・和田首脳会談




浜ちゃん、澄ちゃん、タブレット講習会




タオルでアピール、NO NUKES!











閉会集会




来年の開催は愛媛。
戦後70年となる。




観光
ひろめ市場









日曜市散策



ジャガイモのフリッター。
熱…熱いわー、でも美味しいヽ(^o^)丿



高知ピーマン、おいくらかしら?




"ひまわり娘"(保育士さん)

「自治体にはたらく女性の全国交流集会」の夕食交流会では、
毎回、この"ひまわり娘"さんたちが楽しい歌と振付で会場を沸かせます!!

静岡・駿府城公園

と、いうわけで、またまた時期を逸してしまったが、
6月28.29日、静岡開催の、自治体にはたらく女性の集会に参加した。




3・1ビキニデーに続いて、静岡は今年2度目。 ビキニデーの時は、焼津と東静岡が中心だったので、
今回、開会前の午前中を利用して、駿府城を見学した。
梅雨時でもあり、あいにく雨が降ってきたのだが、


木々はしっとり濡れて艶やかさを増す。

今川氏全盛期、徳川家康(松平竹千代)は、子どもの頃12年間を人質として駿府で暮らした。

栗林公園のような昔から残っている大名庭園ではないようだが、
それらに似た意匠で風雅な庭園に仕立てている。


家康公銅像!!


東御門、巽櫓などが再建されていて、内部が資料館になっている。







庭園内の茶室を見学し、茶室(喫茶室)でお茶と茶菓をいただく。(有料)
抹茶好きのわたくしだが、せっかくここまできたのだし…と思って煎茶にした。
ぐい飲みと見まがうほどの、大変小さな茶碗が運ばれてきてうろたえたが、
薫り高く、本当に美味しいお茶であった。さすがは茶どころである。




「じちはた」
わたくしたちの間では常に、「じちはた」「じちはた」と愛称(略称)で呼び習わされているのが、
「自治体にはたらく女性の全国交流集会」である。2006年には、愛媛・松山開催があり、
実行委員会や準備等、大騒動だったものだ(◎_◎;)。もう8年も前のことか…。

あの時の記念講演は、当時松山大学におられた大内裕和先生だった。
教育基本法に反対する立場で頑張っておられた。今は中京大学に移られ、
大学の奨学金問題やブラックバイトについて盛んに講演されている。



地元の歓迎あいさつ
静岡自治労連の林克委員長。



 記念講演は、斎藤貴男さん。平和を脅かす緊迫した状況になっている「集団的自衛権」について話された。安倍首相はこれまで「平和学」の分野で使われてきた「積極的平和主義」とは違う意味でこの言葉を使い、戦時体制に向かっている。2005年の在日米軍再編以降、横須賀や横田など首都圏の米軍基地ではすでに日米一体となった訓練が行われていること、アメリカの陸海空軍の中に自衛隊が入り込んで訓練している状態で、片方だけ戦争して片方がしないのは変じゃないか、という状況になるかもしれない。今は憲法9条が歯止めになっているが、集団的自衛権容認で、今後は日米一緒に戦争しなければ「憲法違反」ということになりかねない。




 財界には、 グローバルビジネスの展開に9条が邪魔だという考えもある。「インフラシステムの輸出」について、資源を求め、権益を広げ、グローバル化を進め、ある国の国づくりを丸ごと日本が受け持つというような行為は、帝国主義とまでは言わないが、侵略行為と受け止められる可能性もあるのではないか、と熱弁された。武器を持った自衛隊の存在によって、在外邦人の身の安全を守らなければならない。守れるかどうかは別としてもそういう存在を、財界・政府はアピールしなければいけないのだろう。

 改憲について、アメリカの主流派はあまり歓迎していない。「ビンのふた論」といって、日本の軍国主義はビンの中に閉じ込められているだけで、ふたを取れば何をするかわからない、という考え方があることや、「改憲」といってことさら波風を立てるようなことをせず、解釈の変更によって米国の戦争を手伝い、肩代わりしてもらいたい、と考えているとも話された。


見学分科会は

久能山東照宮へ

これまで「じちはた」には6回くらい参加しているが、初めて
2日目の分科会を「見学分科会」にしてみたヽ(^o^)丿
久能山東照宮へ連れて行ってもらえるのだ!! 自由な一人旅も楽しいが、
こうして、みんなと一緒にバスに乗りさえすれば目的地へ運んでもらえる
ツアーのような移動は何かと楽ちんで、大変ありがたい。




3人のボランティアガイドさんが、移動中のバスの中でいろいろ話してくださるのが予習になる。
これは、女性のガイドさんが自宅で栽培しているという、二葉葵だ。わざわざ持ってきてくれたのを、
バスのなかで回覧。徳川家の御紋「三葉葵」の原型だ。




東照宮を楽しみにしていた割には、その実際を知らずに参加したわたくし、
大いに驚いた。バスで行くということで安心しきっていたのだか、
下から山道、坂道、石段……なんと1159段を自分の2本の脚でもって登らねばならず、
日頃の運動不足がたたってひーひー言った。(*_*;




よく知らずに参加した方は他にも何人かいて、大阪の誰やらさんは早々に音を上げて、
車で山上まで送ってもらったそうだ。 しかし、ある程度まで上ると眼下に青々とした
駿河湾が遠く臨める。



もっと登ると、久能山東照宮博物館に到着。
絶対に行きたいと、楽しみにしていた博物館だ。 


 
まず見たいのは、慶弔16年(1611)、スペイン国王から家康公に贈られた西洋時計だ。
その2年前に、スペイン船が千葉県沖で座礁したのを村民たちが救助にあたり、三百何名の
乗員のほとんどが助けられた。そのお礼とのことだ。当時の日本は不定時法で時を
計っていたので西洋時計は使えず、内部のゼンマイなど部品を取り換えることもなく
400年前のまま現存している、というのが研究者の間でも注目されている点だとか。


写真は、東照宮ホームページより


わたくしとしては、このほか、家康公の火縄銃が見られるのではないかという期待があった。
我が父が、香川県の古式銃・刀剣類の登録審査委員をしていた時に、高松松平家に伝来する
家康、秀忠愛用の火縄銃の銃身をはずして調査した記録があるのだが、この銃は
松平頼重(高松松平初代)が家光から拝領したものだ。同じようなものがきっとこの博物館に
展示されているのではないか、是非見たい、と思っていた。 そしたら、やはり!あったのだ!(*^^)v
重要文化財、清堯作、慶長12~18年とされ、火薬入れ、玉入れ、火縄なども同時に保存されていた。
清堯とは、徳川家の抱え鉄砲工で、技量が高く、
我が国随一の鉄砲工として、「日本清堯」と呼ばれる。らしい。

高松松平初代の頼重と徳川家光はいとこの関係、頼重は水戸2代の光圀の実兄、ということで、
親戚関係であり、こうした家宝が贈られたり贈ったり、ということが少なくなかったようだ。

いよいよ、家康公の眠る
国宝 久能山東照宮


山下より登らねばならない「1159段」は「いちいちごくろうさん」と、読んで覚えるらしい。







家康公の墓所


こんな山の上にもお土産屋さん。


「家康公の時計サブレ」と


「無事長久」大銅鑼焼を買った。
わたくしくらいまでの世代では、「○○長久」という四文字熟語をみると、
反射的に「武運長久」と浮かぶものであるが、それを逆手にとって
「無事長久」と大きく打ち出している。実際、家康の残した言葉の中に
あるものだ。そして、なんといっても260年、戦乱のない泰平の世の礎を
築いたのだから「無事長久」だろう。





その後、さらにロープウェイで日本平へ。
富士山がきれいに見える場所ではあるが、雲がかかって、
上の方だけ、少し拝めた。富士はよく見えずとも、ソフトクリームを
食べて大満足(*^-^*)!!!





夕食交流会




フラダンスや、各地の出し物で盛り上がる。



愛媛からは、8人で参加。



来年は高知開催となる。さてさて。