田尾屋玲子堂本舗 -4ページ目

田尾屋玲子堂本舗

戦争や飢餓のない平和な世界をめざして…。

12・8不戦のつどい
沖縄と日本、東アジアの平和を考える


 太平洋戦争開始から73年目の12月8日、松山市平和資料館をつくる市民の会は、松山市の市民会館で「第13回12・8不戦のつどい」を開催し、約50人が集まりました。 


 畑野稔実行委員長は「戦争を皮膚感覚で知っている人が少なくなってきた。戦争を否定する理論も大事だが、皮膚感覚で戦争を捉えることも大事だ。そのためにも、この集いを本当に平和な日が来るまで続けていこう」とあいさつしました。


 日頃より愛媛大学で、「平和学」を開講しておられる和田寿博教授が、「戦争と平和を考える若者たち2014」と題して、パワーポイントを使って講演。


 格差と貧困が広がり、若者が希望を持てない中、戦争に希望を見出す若者のイデオロギーまでが登場している現状を報告。「こんな時代にあっても、戦争と平和の問題に関心があり、戦争体験を聞きたい、戦争はよくない、したくないと考える学生は少なくない。なぜ戦争が起こったのか、どうすれば戦争が起こらなくなるか、ポジティブに考えることが大事だ」と強調しました。



 「平和学」受講生が、沖縄や韓国への平和友好の旅の体験を報告し、沖縄と日本、東アジアの平和を考え、勉強している様子を紹介しました。


 松山市在住の浅海好美さん(85)は、「私の砥部町の実家には、いまだに防空壕があります。戦争は絶対にしてはなりません」と防空壕の写真を示しながら発言しました。



防空壕入り口の説明版



防空壕 佐川家有形財産
戦時中空襲対策として造られた物である。当時身の危険を感じ家族総出して日夜を問わず突貫工事にて完成させた貴重な防空壕である。戦争二度とあってはならないという教訓の元、後世に残すものとす。
佐川家四代目 佐川孝
祖父は近衛兵、父は海軍任務を無事務め上げる。平成二十六年三月



閉会挨拶 梶原健市さん


    栗林公園
    呼気深く優しき秋の園に立つ


    またもや、大幅に時期を逸してしまったのであるが…


    10月後半、実家へ帰った折、ご近所ともいえる栗林公園を散策した。
    ちょうど「庭師ツアー」なる無料の「園内樹木観察」と「庭木剪定実演」というものが
    始まっていたので、飛び入りで参加したのだが、カメラに夢中になっていて
    みなさんからどんどん遅れ、早いうちに見失ってしまったのだった。




    栗林公園は、いつ来ても透明感のあるきれいな空気が漂っている。


    高校の美術部員だった私は、毎日放課後になると栗林公園へ油絵を描きに来ていた。
    しかしいっこうに上達せぬままであった。







    紅葉はまだ少しだけ。でも落ち葉はこんなに。




    数年前から?栗林公園と玉藻公園に和船乗船という遊びができている。
    栗林公園では、6人乗りでひとり610円。30分周遊で、
    船頭さんが庭園ガイドもしてくれる。


    乗りたかったが、2時間待ちだったので今回は断念した(;O;)。








    ここ「飛来峰」からの眺めが絶景とされていて


    チラシや入場券などに使われるアングルだ。





    園内案内のため、平賀源内などに扮した若者が
    クイズなども交えて面白おかしく当地のことを話していた。


    更に、最近では園内で(前撮りだけでなく)実際の結婚式も
    行われているらしい。掬月亭で純和風な結婚式を終え、
    どこかへ(披露宴会場か?)移動しつつある親族ご一行。



    さすが栗林公園、大名庭園の風格と野趣があって心は時空を超えたヾ(@⌒ー⌒@)ノ。

どこまでも子規と行きたき秋の空



手元に「散策集」という小型の小冊子がある。子規記念博物館売店でわずか200円で売っている、今どきありがたい安価な冊子だが、明治28年の子規の松山散策と、作った俳句がそのまま載っていて、大変良い手引きである。



 これを頼りに、9月後半の松山、道後・石手をわたくしも散策したのだ(*^^)v。
 明治28年9月20日、子規は柳原極堂と散策した。今の三越裏あたりにあった愚陀佛庵を出て、松山東高校の前の道を東にずんずん行き、細い路地をそのまま行って石手川の土手沿いの道にたどり着き、そこから石手寺へ向かった。だいたいそのように書いてある。

 また、子規と漱石が同道したのは10月6日のことで、汽車に乗っている。路線は現在とは違い、今の愛媛銀行本店の裏に一番町駅があり(当時の地図にわたくしが赤丸をつけたところ)、ここから汽車に乗って青丸をつけたところ(道後駅)まで、今で言う「坊っちゃん列車」で往復したようだ。(先日火災で消失した)宝厳寺などで遊んでいる。



 現在の路線はこうなっているが、当時はこの愛媛銀行の向こう側に始発駅があった。


 当然ながら今はもう、当時の線路跡は残っていないが、銀行の裏から斜めに道後へ向かう路地は今もそのままの角度で住宅地の中に残っている。うれしい(*^。^*)。


  
 「坊っちゃん列車」は、上記写真のような路地、そしてひめぎんホール近くの西岡菓子舗のあたりを走っていたはずで、その道をたどるとここへ出る。↓ 当時の終点道後駅だ。 ここでようやく現在の道後駅へ合流する。



 現在の道後駅↓を越えてこっちへ向かってきて、一休みしているのが上写真であり、地面から空まで写しこんだのが冒頭の迫力写真だ!停まって休憩している電車なので轢かれる心配はない。




 坊っちゃん列車



 道後温泉本館脇のショップでみなさんを出迎える、坊っちゃんの登場人物たち。







道後温泉本館は、毎年10月1日にすだれをはずし、障子戸にする。暑かった夏ももうそろそろ…。





子規記念博物館

 
 2階に復元されている、愚陀佛庵。いつぞやの土砂崩れで萬翠荘の上の愚陀佛庵は潰れてしまい、再建案も潰れてしまった模様。もとよりわたくしは、無理して再建することには反対だった。土砂崩れのあの場所はそもそも本当にあった場所ではないしどうせ復元だ。元あった場所は前述のとおり三越裏という繁華街の中の非常にごみごみした場所で、今は駐車場になっている。地代がバカ高い。温泉近くの旧「ネオン坂歓楽街」あたりに作ったらどうかという案さえあったが、そんなに温泉に近くては、漱石が温泉に通った距離感や所要時間を想像できない。



 なので、子規博2階のこの復元で、十分だと思う。しかも、座敷へ上がってもいいのだ(*^^)v。観光客など少なければ、いつまでだって座っていられる。



 子規の命日は9月19日だ。みなさんよく「へちま忌」とおっしゃるが、これだとへちまが死んだ日のようだから、わたくしはズバリ「子規忌」と言う方が好きだ。


空蝉の照り陰りする子規忌かな




お参りの前に手をするアキアカネ


 
 重要文化財の三重塔の屋根の間から、若き日の弘法大師が見える。山の上に立っておられる日本最大のお大師さま像だ。 お遍路さんもお大師さまも見えるこの場所がビューポイントだ。




朝寒や殺さざること祈る寺


苦を背負う人の絶えざる寺の秋


大いなる五鈷杵をつかむ秋高し



 本堂前の石段に、このデッカイ五鈷杵が設置されている(*^^)v。愛らしいというかなんというか・・・。一応武器だが、殺戮のための武器ではなく、煩悩を打ち砕く武器、とされている密教法具。




苦しゅうない苦しゅうないぞ秋日和



 友人Tさんが、7月に体調を崩し、8月9日、中央病院へ入院。急性白血病で、あと6ヶ月とか3ヶ月とかいっていたが、抗がん剤は効かず、あれよあれよという間に悪化し、入院からわずか50日足らずで旅立ってしまった。



秋涼や失いかけの命あり





 結果的には亡くなる直前になってしまったのだが、石手寺のきれいなお守り「生きる」と刺繍されているものを買って病院へ行った。3度目のお見舞いだ。事実として「死」を目前にした人に「生きる」というお守りを渡すことが果たしていいのかどうか、迷いもあったのだが、死ぬ瞬間までは(意義を感じて)生きてほしい、生きてきてよかったと思ってほしいと思った。手に握らせると、穏やかな表情をした。

 
 そして、翌朝、息を引きとった。
 まだ若かった。芝居を演じている舞台から、容赦なく強い力で引きずりおろされるような幕切れだったが、Tさんなりに楽しく生きた一生だったと思う。