今回の入院では、大変貴重なことを一つ学んだのですが、それを書くには入院前に遡って、一つ日記を書かなければなりません。
その繋がりはすで見えていたので、入院前に書きたかったのですが、家を長い時間あけるとなるとそれなりにやることがあって間に合わず、かつ入院中にその気づきは思わぬ形で進化しました。
というわけで、時間は三週間前に遡ります。
以前日記で、私の本のご縁で、とある妖精さんにお会いしたことを書きました。
その妖精さんは、勉強会にも参加してくださって、その後もご縁が続いていて、私は妖精さんのブログをいつも楽しみに読んでいたのですが、その時に、とある決定的な聖霊からのメッセージを見つけました。
それは妖精さんと私に一部共通するエゴのパターンに対する、ものすごーくわかりやすいサインで、私は妖精さんに最初に会った時からそれには気づいていましたが(同類だからね)、まだ妖精さんには伝えていなかったのです。でも妖精さんは、近々勉強会に参加してくれる予定でしたし、それは多分、ほかの参加者の皆さんにとっても有意義な話になると思ったので、あえてメールとかはせずに、勉強会まで待とうと思っていました。
ところが私が手術を受けることになり、勉強会がお流れになってしまいまして、いやあ、困ったわ、どうすっかな、と思ってたら、妖精さんからお誘いをいただきました。事態が流れるときは、ほんとにうまく流れますw
その、私と妖精さんに共通するエゴのパターンというのは、「献身」です。
妖精さんと私は、それぞれ動機は違うのですが、必要以上に他者に自分のエネルギーを与えてしまう癖があります。
妖精さんは、他者に嫌われたくない、あるいは、私はできる子だ、ということを他者に見せつけたい、ということがその動機のようですが、私の場合は「世話焼きのおかん」と化して、聖霊から主導権を奪い、自分が事態をコントロールしたい、というのがその動機です。
こういう人が身近にいると、その周りの人はもれなくスポイルされます。
こちらが発する余計なエネルギーに、やろうという意欲を押さえつけられて、やる気をなくす場合もあるでしょうし(我が家の場合、これはぽんぽんです)、これ幸いとそのエネルギーを吸い取って、依存していく場合もあります(母ですw)。
そしてスポイルした本人は、その結果を見て、
「ほらみろ、私がいないとダメだろう」
と、さらに自分のエネルギーを相手に注ぎ、自分がやるべきことができなくなるという、悪循環が起こります。
今回私が、「母と娘と猫を11日間家において入院する」という決断ができたのは、私がここ最近、自分が相手をスポイルしてしまう間違った献身をする癖がある、ということを認め、赦してきた成果として、母が年齢に逆らっていろいろやる気をだし、元気になってきたから、そしてぽんぽんも、これは年相応に自立してきたからでした。彼女たちの様子を見ていたら、いつも私の帰宅が遅くなると、情緒不安になって鳴きまくる猫も、
「まあ、二、三日すれば、順応するんじゃないか」
と思えたのです(実際なんでもなかった。むしろ病院から帰宅した時には迎えにも来ずに、私の方から探しに行った)。
「献身」を辞書で引いてみると、
自分の利益を顧みないで、他者または物事のために自己の力を尽すこと。
とありました。
それはそれで尊いことなのですが、その時に、誰と一緒にそれをやるか、ということがとても重要になります。
つまり、エゴと一緒に、相手の不足分を不足と認めて、それを補うために自分のエネルギーを注ぎ、(意識・無意識に)その見返り(私を認めろとか、感謝しろとか、恩返ししろとか)を求めるのか、あるいは、聖霊と一緒に、相手をキリストと見て、喜びを分かち合うためにエネルギーを愛として分かち合うのか、です。
例えば誰かのためにお茶を一杯淹れるにしても、それは自分の時間とエネルギーを使うことになります。同じ時間とエネルギーを使うにしても、それをどの立ち位置からやるか(エゴか聖霊か)によって、誰のために(不足のある肉体としての他者か、愛に満たされたキリストとしての兄弟か)やるのかが、自動的に決まってくる。さらにそれによって、その献身は、エネルギーの搾取になるのか、愛の分かち合いになるのか(この場合、与えたものは必ず返ってきます)も決まってくる。
私は、ちょうど入院前に気づいたこのことを、なる早で妖精さんに伝えたかったのですが、妖精さんはとても丁寧に受け取ってくれて、私も妖精さんに伝えることによって、自分が考えていたことをよりクリアにすることができました。これは正しく、献身だったと思います。
で、めでたしめでたしだったのですが、まあちょっとした落とし穴がありまして……。
というわけで、続くw