一昨日、ちょっとジンにライムでも入れて飲もっかなーと思って(夏はこれがたまりませんね♪)、庭にミントを採りに行きました。
キッチンガーデンって憧れなんですけど、あいにくそんなおしゃれな庭ではありません。
が、シソとミントとローズマリーはよく使うので切らしません。農薬を使わない、実用的な薬味専用エリアがあります。
今年はお向かいさんからニラとバジルももらいましたので、ちょっと賑やかです。
夏至前後の時期が、多分季節の中で一番好きです。
そしてその中でも、特に夕暮れが好きです。
その時ももう七時を過ぎていて、辺りもそこそこ暗くなって、薄墨色に青を溶かしたみたいな夕暮れでした。ミントの柔らかそうなところを探して、ちょきんとハサミで切りながら、
「ああ、昔はこういう夏の宵も、もっと華やいでいたよな」
と思いました。
「華やぐ」という言葉がどうして浮かんだのか、ちょっと不思議な気がしました。
そして、急に父のことを思い出しました。
父は、本当に華のある人でした。
声が大きく、ガタイがよく、腕っぷしも強かった。
あんな本書いといてなんですが、私は強度のファザコンでした。
父がいると、何か楽しいことが起こりそうな気がしたのかもしれません。
機嫌のいい時の父は、お酒を飲み、タバコを吸いながら、大きな声で話し、笑い、歌を歌ったりしてました(近所迷惑w)。
私は父のそばで何をしていたのか、よく覚えていないのですが、なんだかんだとまとわりついて、長い父の晩酌の間中、そばにいた気がします。副流煙吸い放題でしたが、誰も気にしてなかったですね。
今の私は、未来の私に続いています。
ですから、今の私が変化すれば、未来の私も変わります。
今の私の変化が、未来の私へと連なる物語を変えるからです。
では過去はどうなんだろう、と時々思います。
今、ここ。
全ては、今、ここにある。
これは、時間も空間もない、ということです。
私たちが、時間が過去から現在へリニアに流れていると感じるのは、脳がそのように出来事を処理しているからだそうです。
そうであれば、今の私の在り方によって、現在から未来への物語だけが変わる、というのもなんだか変な気がします。
つまり、過去から現在への物語も変わらないと、かえっておかしいんじゃないか。
ベクトルの方向が違うからといって、違う法則が作用したら変じゃないのかってことです。
自分にとって辛い過去を、
「あの経験があるから今の自分がある」
というふうに、その捉え方や意味づけを変える、ということはよくあることです。
でも、それだけではなくて、その過去自体がいつの間にか別の出来事と入れ替わっていたり、違う結果になっていたり、違う文脈に置き換わっていたりしたとしても、今の私はそれに気づかないのかもしれません。
だから何って話なんですが、父の十三回忌も去年終わって、父の不在を
「あの頃は華やいでいたな」
というふうに思い出せたことを、なんだかしみじみと嬉しく思いました。
これからも少しずつ、良い過去として、思い出せたらいいなと思ったのでした。
で、次の日、ふと思い立って、ジブリの『耳をすませば』を見ました。
実は見てなかったんですが、そんなわけでちょっとノスタルジックになっていた私には、刺さりまくりました。
そして同時に、日常の全てがキラキラと輝いている雫ちゃんの二ヶ月を見ながら、
「あの頃は華やいでいたな」
という前日の呟きは、確かに懐古でもあったのですが、私自身の心の老化でもあったなと、しみじみと思いました。
……ちょっとキラキラしよう。
余談:雫ちゃんのお父さんの声が立花隆で、しかも結構上手くてびっくりしました。
杉村くん、幸せになってね。
雫ちゃんの私服、イマイチ……。