カエルという名の若い山羊は、ふわっと柔らかい草が生い茂る谷がどうにも退屈だった。
空気も景色も“普通すぎる”。彼の心はただ一つ——山脈の、いちばん高い峰へ、いちばん険しい岩へ。
「低地で草なんて、退屈の極みだよな……」
そう言って、のんびり暮らす年老いた山羊たちを鼻で笑う。
そしていつしか、カエルは信じるようになっていた。
本当の偉大さは、標高と危険で測れる——と。
その考えを、静かに突き刺してくる存在がいた。
トーリン。傷跡だらけの年老いた雄羊。落ち着いた目で、カエルの焦りみたいなものをじっと見ている。
「お前は最高の“高さ”を欲しがってる」
トーリンが、低く、でもはっきりと言った。
「でもな——頂上に立ったところで、お前が何を手に入れられると思ってる?」
言葉は優しいのに、どこか冷たい。
カエルは、その問いに負けたくなくて——胸の奥の小さな火を握りつぶすみたいに、決意した。
なら、証明してやる。
カエルは、いちばん鋭く、いちばんむき出しの岩峰へよじ登り、雲の上に堂々と立った。
見える世界はどこまでも広く、風は澄んで、視界は眩しいほど。
彼は確信する。
「俺は無敵だ!」
高所こそが、夢への報酬。
そんなふうに宣言するくらいには、カエルの心は無茶苦茶に高揚していた。
——しかし、最高の山頂というのは、雷が最初に目をつける場所でもある。
その瞬間、空が裂けるように暗くなり、激しい嵐が襲った。
滑りやすい岩の上で、カエルは身動きひとつ取れないまま、閉じ込められてしまう。
「うそだろ……降りられない……!」
震えながら叫んだ。
自分が“自慢”だと思っていた絶景ポイントが、死の牢獄に変わっていることを、遅れて悟った。
そのとき、谷の方から声が届いた。
トーリンの、変わらない落ち着き。
「見下ろす眺めは確かに美しい。
でも、天の怒りからは——守ってくれないんだよ」
カエルが絶望しているのを見てか、通りかかった鷲が彼を見つけた。
そして、崩れかけた岩を落としてくれた。
落ちた岩が“道”になり、狭くて不安定な岩棚ができたおかげで、カエルはなんとか降りられる。
やっと地面に足がついたとき、カエルは息を整えながら、トーリンへ視線を向けた。
「……低地って、たしかに平凡に見えるよな」
トーリンが続ける。
「でもね。水をためて、草を育てるのは——そういう“低い場所”なんだ。支える力は、派手じゃないところにある」
カエルは、ようやく理解した。
あの高い山頂を追いかけたい気持ちは、もう消えていた。
本当の強さとは、世界を見下ろすことじゃない。
地に足をつけて、謙虚に生きることだ。
そう——カエルは、静かに納得した。