若い僧が、寺院の埃っぽい片隅で古い鏡を見つけた。鏡は汚れで覆われ、くすんで暗く、何も映らなかった。
彼はそれを師のところへ持って行った。「この鏡は役に立ちません」と彼は言った。「捨ててしまってもよろしいでしょうか?」
師は鏡を受け取り、袖で埃を拭き取った。すると、鏡に映った像が現れた。明るく、澄み渡り、完璧だった。
「この鏡は決して役に立たなかったわけではない」と師は言った。「ただ埃で覆われていただけだ。お前の心もこの鏡のようなものだ。」
「私の心ですか?」と若い僧は尋ねた。師はうなずいた。
「お前の真の姿は既に澄み渡り、輝き、完璧だ。だが、埃で覆われているのだ。執着、判断、そしてお前が自分自身に語り聞かせる物語によって。」
「どうすれば埃を落とせるのですか?」と僧は尋ねた。師は彼に鏡を手渡した。
「磨く必要はない」と師は言った。 「塵を付けるのをやめれば良い。鏡は努力によって澄むのではない。覆いを外すのをやめた時に澄むのだ。」
若い僧は理解できなかった。「でも、何かしなければなりません」と彼は言った。師は静かに首を横に振った。
「行動こそが塵を付けるのだ。じっと座りなさい。塵を付けるのをやめなさい。塵は自然に沈む。そうすれば分かる。」
僧は座った。澄もうと努力するのをやめた。塵を取り除こうとするのをやめた。ただ座り、塵が沈むのを待った。
そして塵が沈んだ時、彼は見た。それは新しい自分でも、向上した自分でも、完璧な自分でもなかった。ずっとそこにあった、明るく澄んだ、塵が取り去られるのを待っていた自分を見たのだ。