かつて、茶道の達人がいました。その技は国中に知れ渡り、その動作は正確で、佇まいは穏やか、そして淹れるお茶は完璧でした。

ある日、若い弟子が師のもとを訪れました。「どうか教えてください」と弟子は懇願しました。師は頷き、「お茶を淹れなさい」と言いました。

弟子は丁寧に茶を淹れました。計量し、注ぎ、茶筅で混ぜましたが、手が震え、数滴こぼしてしまいました。

「申し訳ありません」と弟子は言いました。「もう一度やります」。師は首を横に振りました。

「謝る必要はない」と師は言いました。「お茶をこぼすのも茶道の一部だ。完璧を目指しているのだろうが、完璧が目的ではないのだ」。

弟子は理解できませんでした。「でも、師は完璧です」と弟子は言いました。「師がお茶を淹れるのを何千回も見てきましたが、一度もこぼしたことはありません」。

師は微笑みました。「こぼすこともある」と師は言いました。「ただ、それを失敗とは呼ばないだけだ」。

師は弟子から茶筅を受け取り、お茶を点てました。そして、わざと数滴こぼしました。「ほらね?」と師は言いました。

「でも、わざとこぼしたんですよね?」と弟子は言いました。師はうなずきました。「私もうっかりこぼした時は、同じように受け止める。こぼしたことは失敗ではない。ただこぼしただけだ。」

弟子はその言葉をじっと受け止めました。彼は完璧であろうと、間違いを避けようと、師の優雅さに倣おうと、必死に努力してきましたた。しかし、師の優雅さは完璧さからではなく、受け入れることから生まれていたのです。

弟子は再びお茶を点てました。今度はこぼしても謝りませんでした。ただ点て続けました。師はうなずきました。

「今、君は学んでいる」と師は言いました。「茶道は完璧さを求めるものではない。大切なのは、今この瞬間にいることなのだ。こぼそうとこぼまいと、お茶はお茶であり、君は君であり続ける。」