かつて、まるで生きているかのような絵を描く名画家がいた。ある時彼は、掛け軸に蝶を描いた。すると本物の蝶がその傍らに止まり、一瞬彼は自分の描いた蝶と見間違えた。
その夜、彼は自分が蝶になる夢を見た。花畑を飛び回り、羽に太陽の光を感じ、筆も掛け軸も、人間であることも何も知らなかった。
目覚めた彼は、何千枚もの絵を描いてきた自分の手を見つめ、こう自問した。「私は蝶になる夢を見た画家なのか?それとも、画家になる夢を見た蝶なのか?」
彼は師である盲目の僧侶のもとへ行った。その僧侶は50年間、絵を見たことがなかった。「私は自分が何者なのか分からなくなりました」と画家は言った。
僧侶は微笑んだ。「それは結構なことだ。知らない者の方が、確信している者よりも真実に近いのだから。」
「しかし、どうしても知りたいのです」と画家は訴えた。 「私は画家なのか、それとも蝶なのか?」僧侶は静かに笑った。
「どちらでもない」と僧侶は言った。「あなたは両方に気づく者だ。画家はあなたの意識の中に現れる。蝶もあなたの意識の中に現れる。しかし、気づく者であるあなたは、どちらでもない。」
画家は天をじっと見つめた。「では、私は何者なのか?」と彼は尋ねた。僧侶は空白の掛け軸を指さした。
「その掛け軸には絵が描かれていない」と僧侶は言った。「だからこそ、どんな絵でも描くことができる。あなたはあの掛け軸のようなものだ。あなたは、あなたの上に現れるイメージそのものではない。あなたは、それらを宿す空虚そのものなのだ。」
画家は空白の掛け軸を見つめた。彼は生涯、蝶、山、花といったイメージを掛け軸に描き込んできた。しかし、掛け軸そのもの、絵を描くことを可能にする空白の空間について、彼は一度も考えたことがなかった。
彼は新しい掛け軸を広げた。彼はそこに絵を描かなかった。ただ、その空虚さ、その可能性、静かに佇む準備の姿を見つめた。そしてその空虚の中に、彼は自分自身を見た。
彼はその後も生涯絵を描き続けたが、以前とは違っていた。もはや自分が何者なのかを問うことはなかった。彼は知っていた。自分は掛け軸そのものなのだと。蝶も画家も、ただのイメージに過ぎなかった。そして掛け軸は無限であり、空虚であり、自由だった。