ある山奥の寺に、海を越えて人々がその教えを聞きにやってくるほどの賢者が住んでいた。人々は質問を抱えてやって来て、賢者は一つ一つに答えた。それは、巧みな言葉遣いではなく、まるでどこからともなく湧き上がってきたかのような明晰さだった。
ある日、若い弟子が賢者に尋ねた。「師よ、どうしてそんなに賢くなられたのですか?」賢者は長い間弟子を見つめ、そして笑った。
「私が賢くなったのは、自分が賢いことを忘れた時だ」と賢者は言った。弟子は戸惑った。「よく分かりません」
「若い頃は」と賢者は言った。「一生懸命勉強した。経典を暗記した。あらゆる師の教えを学んだ。知恵とは、獲得し、保持するものだと思っていた」
「それからどうなったのですか?」と弟子は尋ねた。賢者は微笑んだ。 「そしてある日、私は悟った。知恵とは、何かを抱え込むことではなく、手放すことにあるのだと。賢くなろうとすればするほど、愚かになっていくのだと。」
「では、努力するのをやめたのですか?」と弟子は尋ねた。「いや」と賢者は答えた。「努力すべきものがあるという考えを捨てたのだ。知恵は目的地ではない。方向だ。所有するものではなく、生き方なのだ。」
弟子はそれをじっと見つめた。「では、私は何をすればいいのですか?」賢者は茶碗を手に取った。
「お茶を飲みなさい」と彼は言った。「それが知恵だ。茶碗を洗いなさい。それが知恵だ。村へ歩きなさい。それが知恵だ。特別なことをする必要はない。ただ行動するだけでいい。特別な存在である必要はないのだ。」
「でも、私もあなたのように賢くなりたいのです」と弟子は強く言った。賢者は静かに首を横に振った。
「あなたは私のように賢くなることはできない。あなた自身のように賢くなることしかできないのだ。そして、その知恵は、あなたがそれを探し求めるのをやめた時、他人と比べるのをやめた時、そして、今のあなた以外の何者かになろうとするのをやめた時に初めて見つかるのだ。」
弟子は黙り込んだ。彼は秘密、技法、あるいは人生の道しるべを求めてやって来たのだ。しかし、賢者は彼に何も与えなかった――そして、その何もないところに、すべてがあった。
数年後、弟子が自ら師になった時、人々は彼に同じ質問をした。そして彼は同じように答えた。「私は賢者ではない。ただ、賢くなる必要などなかったことを、忘れることを学んだだけなのだ。」