学生の頃から諸外国を放浪し、いろんな国やいろんな人を見てきたが、
今年になって初めて訪れた台湾 という国のこと。

(・・・・・周知の通り、中華民国という「国」である台湾を、
国際慣習上「国」と表現していいのかどうかも、よくわからないが
ここでは、便宜上「国」と使います)

今回の震災において、
台湾からの義捐金がもっとも多かった
・・・ということは、あまり大きく報道されていない。

単純に、国民一人あたりの人口比率で見ると、
台湾人一人あたり 
アメリカ人の10倍は義捐金を捻出している計算にもなる。

台湾の書店に行けば、普通に日本のファッション雑誌が並び、
デパートではキティちゃんコーナーがあるこの国において、
日本は外国ではい。

雑な言い方をすれば、、
日本のいち州県にいるかのような錯覚で、街を歩くことができる。

もっとも、漢民族の習慣が根付いている文化でもあるから
生活の細々したところでは(たとえば生活感とか日本型のモラルやマナーとか)では
差違はあるものの、手触りとすれば、
もっとも近い国・・という印象を受ける
(「日本のマナーイズムが先進国だ という文化的排他主義の人には受け入れられないだろうが)

さて、それに引き替え・・という話

日本人の多くは、台湾という場所をどこか低く見て偏見を耳にすることも多い。

「台湾に行って来たよ~」って言うと、
「トイレってドアが無いんでしょ??」などという人もいた。

国土面積は九州+四国ほど。
人口も日本の5分の1ほどの、しかも国際社会での不安定な立場で
今や、ITハードでは世界に欠かせない国になっている台湾を、だ。


さて、義捐金について。

古い話になるが、震災後1ヶ月ごろに世界中の新聞に菅直人総理が「ありがとう」のメッセージを掲載した。

そこには、世界中の義捐金や支援を寄せてくれた国と地域の名前が列挙してあったそうだが台湾の名前はそこには省かれていた。


もちろん、中国に配慮しての国際社会上のバランスをとった行動なのだろうが・・・

恥ずかしいことだ・・・・・と思う。

そして、そのことを知らずにいる日本国民も、恥ずかしい。

台湾の温泉で知り合った、
帝国植民地時代に少年時代を過ごしたという古老。
裸で様々な話を楽しんだあとで、
傲慢で失礼であることを十分にわびた上で
素朴な疑問をぶつけてみる。

「属領ならざるを得ないという仮定をしたら、ここの人たちは
日本と中国(中華人民共和国)のどちらを選ぶのでしょう?」

少数山岳民族の人と話したときは、こちらが問うまでもなく
「漢民族が来てから、おかしくなった!!」と息巻いていたが
この老人は、冷静に言う。

『台湾人の多くは、日本になりたがっている。
しかし、二者択一を迫られたなら大陸(中国)を選択することだろう。
もっとも、アメリカにとっては、日本~台湾~フィリピンと大きな防波堤だから
民族とか歴史とかの話じゃなくなってくるんじゃないかな・・』と。

私は、また近々台湾に行くと思う。
そして、個人レベルでの「謝意」を、
せめてもの被災県民(もちろん被災国民でもあるが)として、
どんな形であっても、伝えたい。







・・というタイトルですが・

いま、深夜番組で「ワンピース」にまつわる諸々がやっていて・・。
んで、(酔った勢いで)思ったことをだらだらと。

ちなみに、私のマンガ歴は、、、、
仕事柄もありますが、かなり深いよ?? 

などとハードルを上げた上で書いています。

さて、、、現在 っていうか数年前から大流行の「ワンピース」

これだけ大流行の作品なのだから、さぞかし早くから読んでいたかというと
申し訳なかったが、実は・・・

ジャンプ作品は避けていました!!


・・・というのも、いまから20年ぐらい前から・・かなぁ
ジャンプ上のどの作品も「決戦」とか「決闘」だらけになっから ですっ。
(あ・・・アニメオタクみたいな批評してるよww)

さて、、、なんとなく逃げて回れない雰囲気の「ワンピース」ですが・・

「えい!!」っていう気持ちで、オトナ借り(ツタヤですw)して一気読み。

魅力ある主人公が未知の世界を旅する中で、仲間が増え
その中で友情を確かめたり、成長したり・・・・
って

それは、つまりは 『西遊記』 だね

・・・と気付いた瞬間に、、気持ちがしゅぅぅぅ~~~ っと・・

きっとこんなことを、(別に 主張しなくてもいいようなことなのに~~)
言い出すと、非難囂々なんだろうなぁ・・

でも、言っておくけど
そのアイデア(西遊記)を、大海原にして、かつ魅力的な主人公を仕立て上げて
さらに、
友情や信頼や、そういう少年たちの(もしくは現代の日本人の欲しがっている心情)を
織り交ぜてストーリーを作り上げている作者の力量と慧眼は
普通に「すごい!」と、感じたのも事実です。

・・・・って、誰に向けて書いているブログなんだか・・^^;
ボランティアの出動も含めて、被災地へと足を運ぶ。

見慣れた思い出のある町たちが、瓦礫の山になっていた。

瓦礫、と呼ぶのは失礼だ。

一つ一つが、「思い出」「財産」「記憶」「糧」「命」・・・と呼ぶべきものなのだろう。


「いま、私たちに出来ること」は、無限にあって、そして限られてる。


そんな中で考えたこと。


最初の地震の夜、

ろうそくの明かりを見つめながら、ラジオに聞き耳を立てていた。

そこからはどうにも理解できない日本語が、何度も聞こえた。


「・・・次に、陸前高田市、大船渡市は壊滅・・」


・・・かいめつ???

『壊滅』・・という単語が、21世紀の日本のラジオ放送から流れる。

最初は、頭の中でどんな漢字が当てはまるのかと、思いつかなかった。

そして、それが「壊滅」だと気づくと、

そこに暮らす友人や知人の顔が去来し

停電の暗闇の中で、その言葉の恐怖に震えていた。


現地に行く。


被災者には何が欲しいか、、、というと、

最終的には仕事と言うべきものか。

全国・世界中からの「いま、とりあえず」の支援は行われている。

しかし、みな一様に不安なのは「今日・明日」を含めた「これから」

生活を維持していく糧と見通し。



不安なことはまだある。

マスコミがこぞって、「震災時下での日本人の姿」を賛美している。

そこに何かの違和感があった。

こういう言い方をしては失礼だが、

「日本人だから」辛くても苦しくても整然としたいたわけではないだろう。


関東大震災の時にデマに動かされ、

疑心暗鬼になって朝鮮人を襲ったことを思い出せば、「日本人だから」とひとくくりで

まとめられるのは、どうもなぁ・・。



強いて言うなら戦後教育の成果であろうし、

それ以上に、北東北人の人柄である、とも強く思う。



以前のブログにも書いたけど、

私も以前、三陸地方の某都市で10年以上も勤務していたが

そこに暮らす人たちは、この時代の日本人とは思えないほど

じつに慎ましやかに、

「耐え抜く」ように日常を過ごしている人たちという印象が強い。

ボランティアで訪れた県外の人は、一様に驚くと思う。

高速道路から降りて、2時間も3時間も人気のない山林を縫うように走る国道を越えなければ

たどり着けないという事実を。


その中で、「普通に」生きている。


マスコミや識者はいっせいに「日本人であることを・・・」

「日本人だから・・」と連呼をしている。

今回の震災で、「整然とした横並びの」日本人の姿は、長所でもあるが、

このひと騒ぎが去った後、何がやってくるのだろう?

そこにカリスマや、強大な指導者が現れたとき、もしくは

煌々と輝く政治力学がてこの原理を働かせたとき、

横並びは一気に、そこに向かって求心力を持つように思う。

まるで、関東大震災前夜、世の中は大正デモクラシーで華やいでいたものが

震災後にファシズムに突っ走っていったように。



それであっても、援助は必要だし、生きる糧が必要だ。


とりあえず・・・


これを読むすべての人に伝えたい。

観光でも、遊びでも冷やかしでもいい。

その目で見て考えてほしい。

魚臭さと腐臭と重油の匂いが立ち停める被災地を。

そして、被災地に近い食堂でそばでも食べて、

おみやげも買って欲しい。

観光客のいなくなった三陸に、来て欲しい。



最後に・

被災地に向かう国道で、警察が何かしていた。

国道・・と言っても、前述の通り、山の中。

見れば、路端の自販機の金銭口が破壊されて盗難にあった模様。

偏見かもしれないが、そういう大味の犯行は、

岩手県民は思いつかないように思う。



来てくれる人の多くの善意に紛れて

違うモノもまざっているようです。



$たおさんが呟いた
(海岸線からバイパスへと上がる道路脇に、津波に打ちつけられた車)