昨年末から大祓祝詞を毎日唱えていました。
ただ、10日くらい前からなんとなく唱えるのを止めていました。
そして今日久しぶりに唱えたのですが、大祓祝詞を唱え出すと、頭頂部がジンジンとしてきました。
そして二回目を唱えると今度は眉間の第三の目がじわじわとエネルギーを感じ、奥の方や頭頂部に広がっていきました。
なにかとてもすっきりしました。
一年近く唱えて、あまりこういった体感はなかったので、これを体験するために一旦止めたのかなと思いました。
祓いとはチャクラをクリーニングし上との繋がりを維持するための行いかもしれないと感じました。
ちなみに大祓を唱える際に使用しているのは以下です。
はじめに、に書かれていることを改めて読んだのですが、すっと腑に落ちました。
以下少し転載してみたいと思います。
~大祓 知恵のことば はじめにより以下抜粋~
大祓詞というのは、これを唱えればすべての罪・穢れが祓われるという言葉であるというので、ずっと昔から唱えられてきました。この大祓の言葉は、日本で最も古い祝詞がいくつかある、その中のひとつですが、この祝詞だけがいまだにずっと唱え続けられ、全国の神社で毎日唱えられています。
なぜこの祝詞だけが続いているのかということをずっと昔から考えてきました。今回、春秋社から大祓についての本を書いてほしいと頼まれ、改めて考えておりますと、やはり続ける、続いているというのは真実のことだけであり、また逆に、長く続けると真実の神のいのちというものが現れてくるのです。私が昔からこの大祓の祝詞について考えていたことは、真実のことだと確信したのです。
しかし、どうしてこの言葉を唱えたら罪・穢れが祓われるのかということは、もちろん私には分かりませんし、今までそれを分かった人は日本に一人もいないだろうと思うのです。昔から、大祓の言葉の文字の解釈ということはたくさんの人がやっていて、そういう本はたくさんありますが、文字を解釈して、それで罪・穢れが祓われたということは、一度も聞いたことがありません。だから祝詞を理解するというのは文字の解釈ではない。それは違うのではないかと思います。
それで、この祝詞の本当のこころを知るには、まず自分で唱えてみなければ分からないだろうと思い、毎日、大祓を唱えることをはじめたのです。とくに夜、寝るときにはかならず大祓を唱えながら寝る。昼間でも、何かしているときでも大祓を唱えながらやるということを、ずっと続けています。しかし、いくら唱えても何の変化もないし、自分の罪・穢れが祓われたということがぜんぜん分からない。しかし、実行しなければ本当の意味は分からないと思って、唱え続けていました。
するとあるとき、ふと気がついて、罪・穢れが大祓の祝詞で祓われるというのはこんなことなのかなと、分かってきたような気がしたのです。それはどういうことなのかということですが、体では分かっているのですが、残念なことに、いまだこれを言葉で説明することができないのです。
私は健康のために週に一度ほど息子に全身の鍼治療を行ってもらいますが、治療を受けた直後は、いったいどこが健康になったのかよく分からない。ところが翌日になってみると、そういえば昨日の晩はトイレにもあまり行かなかったし、よく眠ることができた。なんとなく体の調子がよくなったなと、いつも感じています。なにかこういったことと、大祓を唱えて罪・穢れが祓われるということが、同じことのようにも思われるのです。
それにしても自分で感じたことをどうして言葉で表すことができないのか。自分で感じたのだからそれを言葉で表せるだろうという人もいますが、神さまの世界というか、真実の世界というのは知恵の世界であって、この知恵の世界というものに理屈はないのです。理屈のないものを、言葉という理屈で説明することができないのは、ある意味で当たり前のことです。
(中略)
毎日毎日、理屈を考えないで、私はこの大和言葉で書かれた大祓詞を唱え続けていますが、そうすると何か頭から理屈が抜けていくような感じがしてきています。自然の知恵というか、神さまの知恵というのが、なにかどんどん頭の中に感じられるような気がしてくるのです。これがいわゆる罪・穢れが祓われるということなのかなと、最近感じてきました。
~抜粋おわり~
神事と真実、言葉の響きが近いのも意味がありそうです。