能登半島の珠洲市に原発の計画があったことを前々回書きましたが、志賀町には志賀(しか)原発があります。

 

今年元旦の地震で、敷地内に亀裂や段差ができ、変圧器が損傷しました。

なお、運転自体は2011年から止まっていました。

 

変圧器は修理が難しいため新たに作り直すことになり、復旧に二年かかるそうです。

 

 

 

 

水について書いた以前の記事で引用させていただいた、足立育朗と語る、という本の中から原子力について書かれていた部分を少し抜粋してみたいと思います。

 

以下、足立育朗と語るP.83より抜粋

 

足立「今のこの文化は危険なことをいっぱいやっているんですが、現象でとらえるからどうしてもそういう危険な結果を生んでしまうんです。

人間にとって都合の良いものを生み出していくというEGHOの文化ですね。すべての存在物に調和がとれて役立つような、という意識ではなくて、人間にとって役立つ、都合の良いという意識を前提にしてしまっていますから。

そうすると、生み出したものが自然の仕組みを壊していくようなものをたくさん作っているわけですね。いろいろな動物や植物や鉱物に迷惑をかけて人間だけ都合が良いという形を繰り返しているうちに人間にとっても実際には人間自体を痛めつけてしまうような状態にあらゆる環境が変わりだしているのが現状ですね。

それはもうみんなそうなんですけど、農薬にしても、それから原子力のエネルギーにしてもそうですね。放射能という、人間が人工的に生み出してしまったそういうもの、放射性元素といっているものは元に戻す技術、能力を開発していないんですよね。それなのに原子力のエネルギーというものの利用の仕方が都合がいいから、そういうものを作ってしまうわけですね。処置ができないわけです。

接着剤ができたころに溶剤を開発しないで接着剤が先にできて、くっついてしまったものを外すことができなくなってしまうという、そういうおかしな現象が一時期あったと思うんですが、放射能はまさにもうそれそのものですよね。空気や水など、放射能で地球上が汚染されてしまう状態になったら、これはもう改善する方法がないんですよね。でもそういうものを生産し続けてしまっているんです。それを正常化するにも放射能そのものがどういうものであるかということが本質的にわかっていないんです。ですから放射能を生まない状態にするためにはどうするかということもわかりませんし、生んでしまった放射能を元に戻すにはどうするかということもわからないわけです。それは放射能の本質はなんなのかということがわかっていないからですね。」

 

抜粋おわり。

 

 

また波動の法則実践体験報告書という本には以下が書かれてました。

 

 

波動の法則 実践体験報告よりP58~59以下抜粋

「例えば、原子力発電所の安全だといわれている廃水。測定器でゼロとなるものは、測定器で測定できない範囲か、最初から測定していないかのどちらかです。わかっている範囲だけでやるという、そこが問題です。

ある微生物学者の先生の研究室へ何度も通った時期のことです。その大学には原子力研究室もあり”安全です”と書いてあって、廃液が目の前を流れている箇所もありました。微生物学の先生の研究室へ行くときに、そこを通って『うわー、これが安全か』という体験をするわけです。『この振動波が安全なんだ』ってね。」

 

抜粋おわり。

 

 

私は10年ほど前に志賀原発のすぐそばにある工業団地へ仕事の関係で伺う機会がありました。

そこは距離として原発から数キロしか離れていません。

当時稼働はしていないと思いますが、それでもなんとも言えない、体全体が重たい感覚になり、一時も早くそこから離れたい気持ちになったを覚えています。

家に帰ったらどっと疲れが出ました。

 

たまに原発で作業員の方があり得ないような手違いや初歩的な操作ミスをして報道されることがありますが、何となく理解できる気がします。

何か歪め続けるエネルギーが常に充満しているように、個人的には感じます。

先の波動の法則実践体験報告書を読んだときにやはりそうなのか、と思いました。

 

以前、何かで聞いた気がするのですが、気づかないでやってしまうことは仕方ない、そこから学びましょうとなるようですが、気づいた上でやり続けているというのはかなりマズいそうです。

 

福島でああいうことが起きた上でどうするかということを問われているのかもしれません。