昔住んでいたところの近くに、よく行った神社がありました。

 

安房口神社という神社で、鳥居はありますが社殿はなく磐座だけが置かれています。

ここだけちょっと時間が止まったような感じのする場所です。

 

 

友人の家がそばだったので遊びに行った際に寄り、それからなんとなく行くようになりました。


由緒によれば安房神社の祭神である天太玉命の霊代として、東国鎮護のために安房国より山頂に出現飛来したと伝えられ、巨石の面が安房国を向いているそうです。

 

安房口神社がある場所は明神山という地名で、すぐ近くには大塚山古墳という三浦半島最大の前方後円墳がありました。宅地造成によりなくなり今は復元古墳が小さな公園にあるのみです。


余談ですが横浜横須賀道路が馬堀海岸まで延長されたことに伴いこの山の下をトンネルが貫通したのですが、工事の途中で事故が続いて一時中断されていた記憶があります。

 

また、千葉県の安房神社に急に行きたくなり、会社を休んで車を運転して、フェリーで久里浜から金谷へ渡って行ったことがありました。

いずれも神社の由緒等あまり興味がなかった頃のことでした。

その後いろいろ自分で調べたりするようになり、阿波から来た人々が安房を造ったこと、忌部氏の存在を知りました。

 

そしてある時期から自分のルーツに忌部氏が関係しているのではないか、と漠然と感じるようになりました。

家系的な血縁的なものなのか、もっと霊的なものかは分かりません。

ただ自分の名前の中に共通の漢字が含まれていたり、今住んでいる町名や氏神様の神社の神紋も忌部氏と関連するものであったりします。

 

今年の4月に家族で高遠城址の桜を見に行くことになったのですが、高速が渋滞していたため、途中で降りて一般道で行くことになりました。

通りがかりに気になった神社があったので引き返して寄ることにしました。

小野神社・矢彦神社という神社でした。

 

由緒によると建御名方命が諏訪に入ろうとした際に洩矢神がいたため入れずこの地にしばらくとどまったとのことです。

それもあってかなんとなく諏訪大社の前身のような雰囲気を感じました。

 

境内には御柱もあり、「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と古くから言われているそうです。

我が家はもともとこのあたりにルーツがあり、本家の家に父は小さい頃よく来たそうです。今回こちらの神社に来たのは何十年ぶりと言っていました。
 

高速に乗ったままだと素通りしていたので呼ばれたのかもしれません。

 

小野神社の社宝には鐸鉾(さなぎほこ)があります。

https://kodaishi.net/archeology/sanagihoko

 

鐸については以前書いた、辰年(その3)の中で貼らせていただいた動画内でも触れられていました。

天鈿女命の父は天太玉命、忌部の祖になります。

 

以下の動画では、阿波忌部が諏訪と関係しているとの考察がありました。

 

 

建御名方命および忌部氏が諏訪に移り住む前にとどまったという場所に我が家のルーツがあるのなら、なんとなく感じていたことは的外れではないのかもしれないと思いました。