ももちゃんの心。 | 土屋太鳳オフィシャルブログ「たおのSparkling day」Powered by Ameba

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こんばんは!たおです(*^-^*)
今日の東京は雨がじゃんじゃん降って、いかにも梅雨というお天気でしたが、
皆さんの住んでいる地域は、どうでしたか?
西日本では強く降ってるところも多いみたいで心配です…
私は小学校の合宿で、奥多摩や瑞牆山という山によく行ったんですけど、
雨が降った時や後の川は、信じられないくらい荒れて凄まじかったので、
どうかくれぐれも、気をつけてくださいm(_ _)m
「花子とアン」を観て下さった方々、ももちゃんを見守ってくださった方々、
本当にありがとうございます…!!!!!
私の仕事は、「観てくれる人に伝えたい!でも、伝わったのかな?」
と思うことを繰り返してる仕事なので、感想をいただくと本当に嬉しいです。
ももちゃんの人生が新しいスタートをきる瞬間の大切な場面を、
ストーリーの中でも実際の現場でも、ブログでも、
たくさんの人に見守られて演じることが出来たのは、
本当にしあわせなことだと思います。
今日の場面の撮影で何を感じたかを書こうと思うんですけど、
ネタバレになるので、まだ観ていないかた、ネタバレが苦手なかたは
*印から*印まで、飛ばして読んでくださいね(*^-^*)
長いので、時間がある時に読んで下さいm(_ _)m

* * * * * * * *

演技で難しくないことなんてないけど、今日の場面は、本当に難しかったです。
何が難しかったか?というと、ももちゃんの時代は「好き」という言葉の重さが、
今とは比べ物にならないくらい重かったんじゃないか、ということでした。
「好き」ってたった二言だけど、ももちゃんにとってその二言は、
朝市さんを大好きだった時間の長さと重さが込められてるし、
しかも人は、ずっと心に秘めてきたことを言葉にしようと思ったら、
逆に言葉が出なくなるんじゃないかと思うんです。
ももちゃんは、家の仕事が忙しくて学校を休むこともあったと思うけど、
そういう時に朝市さんが勉強を教えてくれたのかもしれないし、
遊びを兼ねて、あにやんと朝市さんが釣りに誘ってくれたかもしれないし…
おとうもおねえやんたちもいなくて寂しかった時期に、
あにやんとは違った優しさで、接し続けてくれたのが朝市さんだと思うから、
その気持ちは、私が想像するよりずっと深いんだと思うんです。
しかも時代的に、女の人から「好き」と言わないだろうし…
私の母が小学生の時に「バレンタインデー」が一般的になって、
その時のキャッチコピー(?)が
「この日だけは、女の子から告白できる」だったそうで、
母は子どもだったけど「ほほー!それはすごいな。」と思ったそうなんですよ。
だったら大正時代はなおさらかなと思ったので、
何を燃料に「好き」という言葉を出したらいいか、迷いました。

でも、母から聞いた、大正三年生まれの祖父の話を聞いて、迷いが消えました。
昔はテレビやラジオや新聞も普及してなかったので、
「地元のアイドル的存在の人」への気持ちが、今より凄く強かったそうなんです。
大学に行ったりすると「地元の星」で、そういう人が里帰りする時は、
「○○さんが帰ってくる!」という情報が駆け巡って、
今のアイドルやアーティストのファンの方々のように
駅に迎えに行ったり、近所に姿を見に行ったりしたそうです。
そういえばドラマ「坂の上の雲」でも、
本木雅弘さん演じる秋山真之さんが松山に帰った時、似た場面がありました。
でも憧れの人に女の子から「好き」ということは、絶対なかったそうなんです。
祖父は宮崎の地元で、そういったアイドル的存在だったそうで、
時々母に自慢してたらしいんですけど、母はその話を、
「絶対話を盛ってるだろう」と、あまり信用しなかったらしいんですよ(^0^;)
でもある時、祖父がこの世から旅立つ2年くらい前に、
祖父より少し若い初対面の女性が尋ねてきて、
祖父にどうしても会いたかったので、友達に連絡先を聞いて来ました、
とおっしゃったそうなんです。
その人は子どもの頃、祖父にずっと憧れてたけど
時代的に「好き」とは言えなくて、せいいっぱい出来たのが、
「どんな女性を素敵だと思いますか?」という質問だったんだそうです。
祖父は、「ピアノが弾ける女性って素敵だよね。」と答えたそうなんですけど
その女性は「その時の私には、時代的にも経済的にもピアノは無理だったので、
やっぱり雲の上の人なんだと思ってあきらめたけれど、
その言葉が印象的だったので、子ども達にはピアノを習わせました。」
と話をされて、祖父と握手をして感動していらっしゃったそうなので
母は「本当だったんだ!」とすごく驚いた、という話を聞いたんです。
ちなみにその女性は、祖父のお友達の妹さんだったらしくて、
祖父にとっては意外なお話で、凄く驚いていたそうなので、
きっと朝市さんも、ももちゃんの気持ちに気づく気づかない以前に、
ももちゃんが自分を好きだなんて、想像もしてなかったんだと思います。
長くなりましたが、この話を聞いた時、
昔だからこその、強くて純粋で憧れが強い感情があったと実感できたし、
ももちゃんのような女性は日本にたくさんいたんじゃないかと思って、
迷いがなくなりました。
今の時代は「好き」という言葉もメールなどで簡単に伝えられるけど、
ももちゃんのような「好き」も素敵だなと、若い人達が感じてくれたら嬉しいし、
お年を召した方々が昔の空気を思い出して、懐かしく観てくれたら嬉しいです。

写真は、今日オンエアされた場面を撮影した時の写真です。
モニターに窪田さんが映ってますが、
朝市である窪田さんが気持ちを受けとめて下さる安心感があったから、
私はももちゃんとしての感情を、ぶつけることが出来ました。
この日私は、曽祖父母や祖父たちが写ってる大正から昭和の家族写真と、
私が姉弟と一緒にお正月に撮った写真を、台本にはさんでました。
昔の写真って厚紙みたいで、それにさらに白い厚紙で台紙が貼ってあって、
見るからに貴重!って空気感が出てるんですけど、
今の写真は家で印刷できるし、デジカメで気軽に撮れるせいか、
同じ「家族写真」なのに、かもし出ている重さが違うんです。
「好き」の一言も、この写真の雰囲気の違いに似てるかもしれないと思って
お守り代わりに持って行ったんですけど、
窪田さんも「好き」という一言の重さの違いを、すごく共感して下さって
「今のままだとちょっとだめだな。ちょっと待ってね。」と言いながら、
本当に丁寧に、リハから本番までコミュニケーションをとってくださったので
私はただ、ももちゃんでいればよかった感じでした。
思えば私が窪田さんに衝撃を受けたのは、映画「鈴木先生」の初号試写でした。
緋桜山中学の卒業生「白井くん」を演じたのが窪田さんなんですけど、
場面としては短いのに、「この人は凄い!!!」と打ちのめされたんです。
初号試写の前に、映画の打ち上げでお会いしていたんですが、
その時ご挨拶した窪田さんと、スクリーンの白井くんの空気が
あまりにも別人で、圧倒されました。
それから映画「るろうに剣心」と大河ドラマ「平清盛」を観てさらに圧倒されて、
いつか絶対たどりつきたい!と思っていた俳優さんのお一人でした。
去年のドラマ「リミット」で御一緒できると知って凄く嬉しかったけど、
撮影場所が違ったので、同じ場面で共演することは出来なくて…(;-;)
だから今回、あんな近くで窪田さんの演技を拝見出来て、
ものすごく勉強になったし、ありがたかったです。
朝市さんの「好きだ」が、あまりにも威力のある切なさで、
聞いた瞬間、あぁ~…そうなんだぁ…と、
ショックとも感動ともつかない気持ちを痛感したんですけど、
それは私が演じたというよりも、
窪田さんの演技に、ももちゃんの心が直接、反応したんじゃないかと思います。
おねえやんやおかあ、おとうへの気持ちは、
今日はもう長いので、明日や明後日に書きますね(^-^)

* * * * * * * *

3~7枚目は、今日の場面を支えて下さったスタッフさんたちの様子です。
今日の「本の部屋」の場面も長回しだったんですけど、
長回しの時は、光も、音も、カメラマンさんの気配も、
その場にいる人の意識がシューッ!!!と集まってくる感覚があるんです。
時間が止まった感じというか、見守ってもらってる感じというか…
この作品では、まだ恩返しをするチャンスが残ってるので、
こぴっと恩返し出来るよう踏んばろうと思います(*^-^*)

そして8枚目は、前売り券を買った時に撮った、
映画「るろうに剣心」京都大火編のポスターの写真です(^-^)
今日はとうとう、完成披露試写会が行われました!!!
レッドカーペットイベントの時間が雨で、すごく心配だったけど、
でも私の中では意外に「るろうに剣心=雨」なんです。
撮影中、すごく雨で待ったり、予定が変わったりしたんですよね。
だからきっと今日も、梅雨入りっていうのもあるとは思うけど、
意味のある雨なんじゃないかなと思って空を見てました。
私も早く、映画館で剣心の世界を観たいです(^-^)

ではでは、今日はすっかり冷えやすい天気になってしまったので
風邪などに気をつけてくださいね。
明日も元気で、行ってこうし!(*^-^*)
ごきげんよう…☆″


たお