昨日より
が降って…、寒い1日でした地震以来、メール1通で音信不通だったおばさん&いとこが元気でした。よかった~~\(~o~)/
実は今回の里帰りは、
母と母の姉妹3人が3年ぶりに会って食事をするというのが目的でした。
母も、母の姉も年歳を重ね足腰が弱ってきたり、
少しずつ「認知症」も進んでくるので…
「今のうちに会わせてあげたいね!」と企画しました。
母の姉妹3人、いとこ3人計6人で…
おいしくてボリュームたっぷりのカフェランチと
たっぷりおしゃべりを楽しんで…
解散した直後に、あの地震が起こりました。
地震直後は、自分のまわりのことしか考えられなかった。
弟夫婦や東京の子どもたちと安否確認をギリギリメールでとり…
部屋を片付けることで精一杯でした
母の姉妹(おばさん&いとこ)は「大津波警報」のでている海辺の町へ、クルマで帰って行ったのです。
11日の夜、ギリギリつながったメールで中学校に避難させられたコトのみわかっただけでした。
それ以後、丸2日携帯は「圏外表示」て不明でした。
携帯電話の充電切れも想像していたけれど…
命はあるけれど、83歳のおばさんを連れてどうしているか…
気になっていても、何もできない時間をすごしました。
今日、電話連絡がついてようやく話をきけました
仙台新港近くの多賀城で、「クルマ捨てて、逃げろ」と指示された。
でも、高齢のおばちゃんを連れて逃げられないと、とっさにUターンして津波から逃れたそうです。
避難した中学校は何もなく、コップ1杯の水をやっともらい
寒い中で2晩過ごしたそうです。
おばちゃんの体温がどんどん下がっていくのを、一晩中さすっていたそうです
2晩をが明けた朝、迎えにきたクルマで脱出!
転んで腕を骨折しましたが、家には帰れました。
おばちゃんと従姉妹は、今夜から母の妹の家に避難してきています。
二人だけでは不安だから…と。
その家だって…
大きいガラスが割れてしまい、ブルーシートで補っています。
瓦が損壊しています。
電気と水はありますが、ガスは使えません。
「寒いんじゃないか!」
「大丈夫かぁ~」と、弟がとても心配しています。
ガソリンがなく、不足物資を届けられないことを悔やんでいます
みんな、支えあって生活しています。
