スピリチュアル系ビジネスへの抵抗をなくすヒント | 無限なる本当の自分に出逢う道

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田久保剛です。

「スピリチュアル分野を仕事にしたいが、
 お金をいただくことに抵抗がある…」


こんな思いを抱えた方に出会う事があります。

スピリチュアル、霊的知識、精神世界といったジャンルが好きで、仕事にしたい、それで人のお役に立ちたい、という気持がある一方で、それらの行為からお金をいただくことへの抵抗、という矛盾する気持を抱えているのです。

内面にこうした拮抗があると、仕事にすることを躊躇したままの状態が続いたり、始めてみたとしても、自分のエネルギーが相殺し合って低くなり、伝える情報にも力が乗らずに、結果的に上手く行かないことが多いと思います。

私にご相談いただく方に、これらの「抵抗」がどこから生じるのかを聞いていくと、実は非常に曖昧な、外的意見の影響を受けている場合がとても多くあります。

よく聞かれる外的意見のひとつとして、

「スピリチュアルで商売をしてはならない」
「心のことでお金をいただいてはいけない」


といった考え方が根強く浸透している背景があります。

特に、スピリチュアルや精神世界の分野が好きな方の中に多く浸透しているように感じます。

私は、こうした意見には違和感を感じるのです。

私自身、スピリチュアル分野の情報を扱ってビジネス、商売をしていますから、もしも私の考え方が自身の正当化のため、エゴから来る発想であれば、ジャッジは天の法則に委ねてその報いを素直に受け入れます。

都会の夕暮れ

しかし、少なくとも私はこのような心の分野を生業にして20年以上は続けていますし、今のCTPeakを設立してからもお陰様で6年目を迎え、多くの皆様に喜んでいただいていると自負しています。

では、どうして私のところに来る、カウンセラーやヒーラー、セラピスト等、今現在活動しているも方も、これから始めたいと思っている方も含めて、特にビジネス相談に来られる多く方に、「心の仕事でお金をいただくことへの抵抗」という感覚が拭えないのでしょうか。

今、これらの抵抗を抱えている方々の参考になるのでは、と思い、私が世間に何となく浸透しているそれらの意見に違和感を感じる背景を、少し丁寧に話してみたいと思います。

●スピリチュアルとビジネスの境目


そもそも、この物質次元の現象世界に、「スピリチュアル」と「スピリチュアルでないもの」の分離はあるのでしょうか?

物事の表現にはまず定義があり、捉える人によって定義が違い、意味も変わります。

もし、スピリチュアルとそうでないものが存在するのならば、それは、その人の自我意識が定義した「スピリチュアル」という名の固定概念であり、スピリチュアルの本質ではない可能性が高いのです。

私たち人間が、完全なる無からこの世界の生命体の何一つとして生み出せないように、この現象世界に表現されている全ては、スピリチュアル、霊的世界、大いなる根源の無限のエネルギーが現れたものです。

あらゆる物質も人間も、この社会の様々な事象、社会活動、芸術、教育、医療、政治、経済、そして、商売、ビジネス…

それらが成立する全ての背景にある本質は、すべてがスピリチュアルの現れであって、私たちは、この物質次元の様々な現象に関わる事によって、無意識に、または意識的にも目に見えない霊的世界、スピリチュアルを学んでいるのです。



では、「商売」「ビジネス」という言葉の定義はどうでしょうか。

形ある商品を仕入れ、そこに利益を乗せて販売するのが商売の定義でしょうか?

逆に言えば、目に見えないもの、形のないものは、すべて如何わしい商売でしょうか?

しかし、冷静に考えれば、形のないサービスにも対価を払うことはごく自然なことです。

例えば教育なども、形のないサービスですね。

紫の花

また、形ある商品にも、目には見えない、その商品を製造や販売する会社の運営費、そこで働く人々の報酬などが当然含まれています。

神社やお寺などのお布施やお賽銭は、一般的にそれらの運営費や修繕などに充てられますが、その中には当然、その寺社を運営する方々の人件費(報酬)も含まれています。

こうした宗教的な目的で生じた利益(お金)と、ビジネスで生じた利益(お金)は別の物でしょうか。

税法的な違いはあるかも知れませんが、それは人間社会の中で、人間が決めた法律であって、スピリチュアル、つまり霊性の世界の法則が決めたことではありません。

●生活を支えているのは何なのか


「スピリチュアルで利益を取るのはおかしい」「私はスピリチュアルの普及はボランティアでやっています」と主張する方も中にはいますが、そういう方も普段の生活は、何らかの経済活動の上に成り立っているはずです。

さらに言えば、そのような方々が、仮に何らかの書物からスピリチュアルの知識を学んだとしたら、その著書には紙代、印刷代、著者印税、出版社の運営費、流通、そしてそれら全てに関わる会社の経費や人々の報酬が積算され、価格が設定されています。

本を購入するとき、そのような目に見えない背景の経済活動に意識を向ける人はほとんどいないかもしれません。しかし、冷静に考えれば誰でもそのことを知っている訳で、その上で、それらの価格設定に納得し価値を感じたからこそ、購入する訳です。

本に限らず、全ての商品やサービスにおいて、お金を支払うのは価値を感じたお客様であって、相対的に観て安価な著書も、教材やセミナーなどの高額なサービスも、価格の設定に問題があるかないかのラインなどはありません。

どれだけ素晴らしい本でも、購入する人が「高い」「それだけの価格を払う価値がない」と思えば購買行為には至りません。

人によっては、何十万を支払っても価値があると感じ、更にはそれを支払える経済力を持つ方もいれば、たとえ千何百円かの著書でも大変な人もいます。

この世のサービスには、形の有る物、無いもの、人によって価値がある物、無いもの、様々です。そして、様々な価格がありますが、その価値を決めるのは、それを買う側であって、それに価値を感じた者が、対価を支払って購入する。

販売した側は、そのことによって、営利を得るのです。

もちろん、これは経済活動がほとんどの国で営まれている、現在の地球で言えることですが、経済活動の土台で、霊性を学んでいるという前提がある以上、ほとんどの場合、商売が私たちの生活を支えるのです。

税金で支えられるような公務員も、その税金はほとんどの場合、商売、つまり営利活動によって収められたものであって、それを否定したら、税金によって成り立つ公務そのものが崩壊してしまうのです。

公務

●スピリチュアルを正しく理解して商売をする


では、どうしてスピリチュアルや心という分野になると、急に商売にしてはいけないような意識が働くのでしょうか。

これは、精神世界のリーダーや、マスター、大師方の表現にある、「奉仕こそが重要である」「自己の利益を求めた先に悟りは得られない」といった言葉を、表面的に解釈してしまったが為に生じた偏見、幻想ではないかというのが私の意見です。

そもそも、「奉仕=無償」というのも固定概念です。

世の中には、商売の形式を通して、多くの人にサービスを提供し人々に奉仕をしている立派なビジネスが沢山あり、むしろそのような商売をしている会社が、多くの税金を社会に還元してこの社会を支えているのです。

スピリチュアル本を読んだり、霊的知識を普及したりする事だけが、スピリチュアルの本質的な理解や、霊性を高めることとは限りません。

むしろ、「偏った知識偏重のスピリチュアルを語って、何かを裁く」のではなく、「商売(その他、様々な三次元的社会活動、表現)を通して、スピリチュアルの本質を学ぶ」ことが重要で、商売を通して、“スピリチュアルの本質”を学びましょうと、私は主張したい気持ちです。

つまり、「スピリチュアルで商売をしてはならない」ではなく、「スピリチュアルを正しく理解して商売をしましょう」だと思うのです。

この、経済活動も含めた様々な仕組みの社会にあって、日々の日常生活の中に向き合う中で、スピリチュアルの本質を学び、霊的成長を遂げていくこと、それが本当のスピリチュアルの学びなのだと私は思うのです。

●「良心」という感性を磨く


確かに、利益、もしくは商品価格は、良心に基づくものであることが原則です。

しかし、良心にもそれぞれの価値観によって様々な定義があり、人の数だけその定義があって、同じ商品価格を見て「良心的」と思う人もいれば「暴利だ」と感じる人もいます。

実は、そんな良心の定義も、本質な意味で線引きをするのは人間ではなく、もしもそれが天の法則からズレていたら、そのズレを戻す・・・つまり本人にそのカルマが返ることで、ちゃんとジャッジしてくれます。

利益がもたらされるのは、そこに対価を支払った方からの感謝のエネルギーが返って来たからであって、もしそうではない(詐欺的な利益)ものなら、一時的には利益を得たように見えて、ちゃんと天の法則によって訂正(精算)されるのです。

ビジネスの本質(スピリチュアル)を実践を通して掴んでいる方々にとっては、そんなことは当たり前過ぎて、笑われてしまいそうですが、

「スピリチュアル」という言葉の固定概念に囚われている方は、ビジネスを偏見で捉え、忌み嫌う対象にしてしまい、裁きを天の法則に委ねるのではなく、その本人の狭い了見(価値観)によって相手を裁こうとしてしまっているのです。

たんぽぽ

大切なことは、自分の霊性を、社会生活、仕事、日常生活を通して高め続ける事です。

それが、より本質を感じ取れる「良心」という感性を磨くのです。

「スピリチュアル分野を仕事にしたい…」

この思いは、とても貴いものです。

今の時代に重要なはたらきをする役割をもつ、純粋な性質を持つ方であるほど、言い換えれば、いい意味で、不器用な人ほど、二足わらじを器用にこなせず、好きなことで生活を成立させたいという気持になるものです。

本当の意味で、スピリチュアルの理解を深めていけば、「スピリチュアルで商売をしてはならない」という発想が、固定概念のつくった幻影であることに気付き、思いっきりエネルギーを出して、スピリチュアルビジネスを成立させることでしょう。

私は、そういう純粋な実践者にこそ、天は手を差し伸べると信じています。





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