実は、日曜日の朝、腹がたってその後、ぽろぽろ涙が出てどうしようもなくて、
 からまった感情のまま、その思いをブログに書いて更新しようとしていた。

 でも、バックから何かモノをとり出そうとしたときに、
 今読んでいる本の帯が引っかかって一緒に出てきて、
 そのオレンジ色の帯に書かれている文字が、ポンと目に飛び込んできた。

  「精神的成長という “往く人の少ない道” をいかに歩むか・・・・・」

 あぁ・・・
 ユノの生き方だ*namida*
 私は、ユノに寄り添って生きていくのだから、
 感情にまかせて乱暴に言葉を吐き出してはいけない!
 と、一気に思考が転換された。

 きっと神様が偶然を装って、ストップをかけてくれたんだ。
 そう思って書きかけのものを、スパッと削除した。
 
 今は、気持ちが波打ってない状態なのでだいじょうぶ!にこっ


 私は、感動して泣くことはしょっちゅうあっても
 腹立たしくて涙が出ることは珍しかったから、
 何がそんなに私を刺激したのだろう?と、冷静になってから考えてみた。
 

 何が? ・ ・ ・ は、ある人のパフォーマンスを絶賛する彼のファンのコメントに。
 普段なら、それぞれ自分の好きな人を絶賛していればいいのだから、
 我関せずで華麗なるスルーなのだけど・・
 わざわざ、ユノと並んだと、むしろそれを超えたと盛り上がっている人たちが
 いたと知ったことから、モクモクと何かが立ち上がってきた。
 それこそ、普段なら “どちらのファンでもない人がジャッジすれば一目瞭然” と
 流すのだけど、今回だけはできなかった。

 何故なら、ユノが最も尊敬するアーティスト、今は亡き人(M)のパフォーマンスをした場面を
 ある一部分だけ取りあげ、並べて編集し、一緒くたに語られていたから。
 腐萌えトークに使われていたのもあった。

 それによって私は、ユノが、さらにはその尊敬するMまでもが汚されたように感じた。
 この言い方が適当でないなら、
 私の大切なユノが、その一瞬のために死ぬほど努力してきたものが
 耐え難いほど軽く扱われたと感じたから。
 

 あまりに偉大なアーティストM。
 ユノは14歳の時に「Mのように人を魅了するアーティストになりたい」と夢見て、
 学校に通いながら、事務所所属の練習生として週末にはソウルに通っていた
 (光州とソウルはバスだと4時間半かかる距離らしい)。
 お金がないから駅でホームレスに交じって野宿をしたこともあったそうで…
 それでも、物理的な距離も貧しさも、ユノにとっては夢をあきらめる理由にはならなかった。

 何度も、“最も尊敬するアーティスト”としてMのことをインタビューで語り、
 実際、日本の雑誌でも、
 「自分がこの世からいなくなっても、永遠に人々の心に残るような楽曲を生み出したい、
  Mのように」と語るほど、大切にしている存在。


 脱線するけど・・・
 Mは音楽シーンに留まることなく、時代の最先端を生きた人だと感じた。
 その時代を象徴するアイコンというのか・・
 世界の様々な問題に目を向けてメッセージを発し、解決策を探り行動する。
 人間の意識の高いところにある理想を生きた(生きようとした)ように思う。
 博愛の精神を歌で実現しようと、多くのアーティストに呼びかけたのは、
 彼が初なのではないか?
 当時中学生だった私は、感動で鳥肌がたち、歌が持つ力にただ圧倒された。

 脱線ついでに貼っちゃうにゃは

 【USA For Africa - We Are The World (字幕)】
 

 なんて豪華なメンバー!!
 個性がぶつかりあいながらスパークして、見事に調和してる!
 それは、「愛と世界平和」をみんなが心から願って歌っているからなんだろうな。
 
 
 話を戻すと・・てへ
 独特の声とダンスパフォーマンスで唯一無二のステージングを魅せる天性の才能と、
 徹底してストイックに自己鍛錬を重ねて、孤高なまでの場所にのぼりつめたM。

 熱烈なファンでない私ですら、死してもなお目を閉じれば残像が浮かぶ、その圧倒的な存在感。
 人間は肉体を失っても存在は死なないと、こんな時に思うのだけど・・・

 そんなMを目指すということは、彼以上の努力を自らに強いることとなり、
 実際にユノは、それをいとわず誰もが認めるほど熱心にレッスンを重ねてきた。

 その努力は、2010年に行われたMの追悼公演に、
 主催側からアジアで唯一の出演者として招待される、という栄誉として実ることとなる。
 
 そんな栄光の裏で、当時は、分裂騒動の最中で、グループの今後がわからないまま、
 リーダーであるユノは、アンチからの壮絶なバッシングを受けて、
 精神面も肉体もボロボロの状態だった。
 追悼公演の日も、一晩点滴を受けて病院から会場に行ったと、後にどこかで読んだ。
 
 私はその時は、ひよっこユノペンだったので、
 何かおかしいと感じながらも韓国で何が起こっているのか掴めないまま、
 鬼気迫るユノの姿を動画で見て、感動していたのだけど・・・




 
 一縷の望みだったかもしれない、あのステージ。
 Mへの尊敬を、ステージで表した魂のステージ。
 純粋な祈りは天に届くのだから、ユノの思いはきっとMへ・・・。


 そんな思いがあふれて、今回私は、一部の人の言葉に過剰反応してしまったのだと思う。

 それでも直接顔を見て、聞いたみたいけどね。
 ユノを超えたという人は、ユノのあのステージを本当に見たのか?
 セクシーな動きで何かを煽るシーンももちろんだが、それだけでなく、
 その一挙手一投足を比較して、本当に超えたと思うのか?
  
 技や芸を究める世界に、“神は細部に宿る”という言葉があるけど、まさにそれで。
 一本一本に意味を込めて伸ばした指先に。
 美の絶対値を肘や膝の角度で示し、佇まいに緊張感や存在感を込めて。
 わずかに眉をひそめて目を閉じた表情に。
 ピンと伸ばした背筋と顎に品格を持たせて。
 あえてコンマ数秒、間をとった動きに。
 







 
 とまあ、色々書いただけど、結局、“汚された”と感じたのは、わたし。
 “耐えられないほど軽く扱われた”と感じたのもわたし。
 全て、私の中だけのこと。

 実際には、ユノには何の影響もない。
 あの気高く美しい姿は、決して汚されることはない。
 そもそも、ユノは人とは比較をしないで、常に自分自身をライバルだと思っている。
 その時に与えらえた環境の中で、黙々と努力を重ねて自らを成長させる。
 自分の進む道、ビジョンを明確に描いて、誠実な姿勢で新しい仲間をつくり、
 周りの人の心をつかみながら自分の応援団に変えていっている キャー
 

 ということで、受け取りなおすのに3日もかかったけど、
 今は、怒りと涙の原因になった言葉には、
 「そんなことは冷静な第3者(ファンでも身内でもない人)に任せて
 ひたすら自分の好きな人を心を込めて応援してね~」と言いたい。
 私も少しは精神的成長をしたのかしらニコッ
 まだまだ未熟な、私自身の内省を記しました苦笑
 

 ところで、あと数ページで、
 オレンジの帯の本体、「愛すること、生きること」を読み終える。

 最終章のタイトルは「恩寵」(おんちょう)。
  恩寵・・・神や主君から受ける恵み。慈しみ。キリスト教で、人類に対する神の恵み。  

 
 私は特定の宗教観はないけど、神様、大いなる存在に今日を感謝して・・・
 朝は-16℃にもなる極寒の土地で、きっと熱心に訓練をしている私たちの大切な人を、
 どうかお守りください。
 世界が平和でありますようにと祈ろう。