COVID-19関連の情報がマスメディアから流れています。
私の素朴な疑問として、
放送局はいつまで新型コロナウイルスという呼称を続けるのだろうか。。
というものがあります。
調べてみたら 教えてTBSニュースβ版に、以下のような説明がありました。
【質問】投稿者 2020/02/20
『新型コロナウイルス、COVID-19』と呼ぶなどして名前を浸透させていくべきだと思いますが...
【回答】編集部 2020/02/21
~(略)~
まだ浸透していないことから、視聴者に分かりやすく伝えるために「新型コロナウイルス」としています。
・・・
『TOPIX、東証株価指数』のように併称し、
浸透させていくべきだと思いますが
という投稿者からの提言に対して、
まだ浸透していないことから、
と説明しているのは、回答になっていないと思うのは、私だけ
読んで笑ってしまいました。。
グループの行動憲章を、~お客様への誓い~
心を豊かにするコンテンツ、情報、サービスを提供する
と規定しているTBSの、心を豊かにする為のお笑いコンテンツのひとつなのでしょうか、
教えてTBSニュース β版 のページは。。
(まぁ、書けない事情があるのかも★)
と、ひとしきり毒を吐いたところで、本題に入ります。
メディアの二次情報に惑わされるより、発信元に近い情報源に当たる方が、事態の正確な把握には有効なのではないでしょうか。
(このブログが読めるならWebの情報にアクセス可能、という前提で書いています。)
先日、山中伸弥教授の五つの提言を取り上げた、TVの情報番組をいくつか視ました。
山中教授のサイトは、私も参考にしていますが、教授が細心の注意を払って、提言2の実行が前提として第3の提言をしているのに、そこをすっ飛ばして、いきなり提言3の検査体制の強化について、山中教授もこう言っていたなどと声高にコメントする局の解説委員などを視ると、ちょっと辟易とします。
マスメディアの情報は、報道内容についての正確な知識を得る為というより、世間には今こう言った形で情報が流されているのだな、という状況を把握するというスタンスで見る方が無難でしょう。
これは、TVに限らず、Webでも同様です。
大手ポータルニュースサイトから情報源を辿っていっても、発信元とされる本人の公式ページやら米国の公式機関やらに、その情報が無かったという経験が少なからずあります。
※そうだったら、その情報は信用ならないと言っているわけではありません。
後に何らかの理由で、引用元の情報が削除された可能性も、あるかもしれません。
それを踏まえた上で、参考になりそうなWebサイトを。。
で、Stay HOME を実践中の方々が、時間を持て余さないように、コロナ騒動からちょっとだけ離れた読み物をご紹介致します。
これまでの常識をくつがえすウイルスの存在意義について、考えてみる機会になるかもしれません。
このページの続き、ウイルス感染予防論 第2回 のウイルスの写真は、人によって拒絶反応があるかもしれませんが、記事の内容は興味深いです。
東京大学付属病院 循環器内科 助教 稲葉俊郎医師による2月28日のブログ記事です。
同じく稲葉俊郎医師による3月29日の記事です。
素敵なブログです。
是非とも全文を、更には他の記事も、お読みいただけたらと思います。
一部抜粋させていただきました。
~如是我聞~
稲葉俊郎医師の
3月29日のブログ記事 より
雑感。
愛の本質は距離。
嫌いになったら、好きになるところまで離れればいい。嫌いになった理由は、距離が近すぎるからであって、相手の問題ではない。
そうしたことを、夫婦関係でも人間関係でもいつも心がけている。
・・・
ウイルスと人、細菌と人とは、ある程度の距離をとって共生していた。
今はウイルスとの距離がゼロになってしまい、パンデミックになった。
だから、ウイルスと距離をとらないといけない。外出しないことも、ウイルスと距離をとることだと、個人的に受け取る。あまり複雑に考えず。
・・・
色々な問題は、同じような原因が形をかえて出てきているような気がする。
ベストな対症療法をし続けながら、同時に根本治療を考え続けるのは医療の基本だ。
・・・
それぞれの持ち場で、できることを本気で取り掛からないといけない時期に来ている。
・・・
このコロナ禍を乗り越え、このウイルスに対して免疫を持ち、共存し得るようになった人類は、ある意味で種の進化を遂げたと言えるのかもしれません。
進化した靈止(ヒト) がどうなっているかは、今は明確に目に見えないかもしれません。
蛹の状態の意識には、羽化して宙を舞う蝶の意識は、想像の範疇の外でしょう。
蛹に出来ることは、じっくりと蛹の中で成熟の時を待つことです。
今はじっくりと、ウイルスとの間合いを保ちましょう。
そして、羽化して宙を舞いましょう。
聞くところによると、本日11:45から世界同時瞑想というものが企画されているそうです。
参加しようと思った人、違和感を感じた人、いろいろいらっしゃるでしょう。
ピンとくる方は既にその情報を知っていると思うので、リンクは貼りません。
(この記事は拡散が目的ではないので)
参加と云うか、その時間に瞑想することは、提唱者の世界観をそのまま受け入れること、と云う認識を持つ必要は無いと思います。
※瞑想は「する」ものではないということは、ここでは置いておきます。
それぞれの距離感・間合いで実施するということで良いのではないでしょうか。
(というか、本来そうでしか在りようがありませんが。)
参加者としてカウントされるかに心が揺れることは、中心軸を外に置くことになります。
一番大事なのは、ご自身の意図・意識です。
(重ねて言いますが、本来そうでしか在りようがありません。)
譬えとして、話が飛ぶかもしれませんが、悪意の無い一般のPCが、セキュリティホールを突かれて、サイバー犯罪の踏み台にされるということがあります。
同様に、この企画の提唱者や参加者の善意を突き、自我というファイアウォールが希薄となる状態を見越して壁をすり抜けようとする意図が介在したら、というセキュリティ意識は、即座に起動するようにしておくのが良いかもしれません。
言い換えるなら、意識の免疫機能は、健全に働くようにしておきましょう。
その上で、コロナ禍を含め、今知覚している現世(ウツシヨ)を、自らはどのように咀嚼・認識しているのか、想いを内面へ向けましょう。
自らの内面へ向かうことは個の殻に閉じ籠るに留まらず。
クラインの壺のように、いつしか霄(オオゾラ)へと到ります。
お釈迦様のように、相手の悪意を受け取らずにいられれば何の問題もありませんが、心配であれば隙のないように意識の間合いを保つということも、愛だと思いますょ