高麗神社 月次祭で鎮静祈願 に参列した後は、末社の水天宮に参拝しました。
こちらの水天宮は、高麗神社境内の小高い山の頂にお祀りされています。
妻と私は、いつものように、先ずは遥拝所でご挨拶し、頂上に鎮座する水天宮を目指して歩き始めました。
つづら折りの坂道を登り、中頃を過ぎると、これは三椏(ミツマタ)でしょうか。
枝振りに、生命の息吹を感じます。
頂上のエリアに着き、鳥居をくぐり‥‥
水天宮さまにも流行鎮静を祈りました。
陽の光が、やはり冬とは違いますね。
高麗神社に参拝された折には、是非こちらの水天宮にも足を運んでみてください。
5のつく日がご縁日ですので、月次祭の日は水天宮のご縁日でもあります。
閉山期間(12/26~2/4)を除く水天宮のご縁日には、社務所にて洗心紙を授与していただくことができます。
洗心紙を用いた祓いの作法は、洗心紙に薄く書かれている
「祓へ給へ清め給へ」
という略祓詞を自ら筆でなぞって認(シタタ)め、略祓詞の言靈を奏上しながら、水天宮遥拝所の専用の桶の水に溶かし去ることによって、心身の浄化を願うというものです。
洗心紙の祓いについては、以下の記事が解りやすく書かれているので、是非ご参考に☆
水天宮が鎮座する山の氣を暫く味わい、下山することにしました。
下りながら、あらためて坂の途中にある記念碑を読んでみました。
高麗神社に保存されている大般若波羅蜜多経を天皇が視察された旨が記されています。
コロリ流行の年、大般若経で流行の鎮静化を図った旨の記録も残されているそうです。
高麗神社の境内には東屋もあります。
COVID-19が収束したら、人々で賑わうことでしょう。
東屋の近くには、徳仁天皇陛下が10代の頃に参拝した時の記念樹が立っています。
枝と青空とのコントラストが美しいです。
さらに、境内を散策し、じっくりと春を味わいました。
枝垂桜が淡く色づいています。
樹齢400年とあります。
高麗家住宅が高麗家の神職の住居として使用されていた頃から、綺麗な花を咲かせていたのでしょう。
高麗家住宅の方へ廻り込んでみます。
入口に貼ってあるのは‥‥
大宮御宝印札(高麗神社の牛玉宝印)です。
力のあるお札です。
参考リンク 高麗神社 news 407
裏手に門があります。
「幽栖門」という扁額が掲げられています。
幽栖門の先には庭園があります。
このエリアは高麗神社境内の御神域として、欠かせない場所かもしれませんね。
幽栖門の言葉通り、新たにお宮など建てず、残しておくのが良いのではないでしょうか。
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~如是我聞~
老子道徳経
第二十二章 より
曲則全。枉則直。
窪則盈。弊則新。
少則得。多則惑。
是以聖人、抱一為天下式。不自見、故明。
不自是、故彰。
不自伐、故有功。
不自矜、故長。
夫唯不争、故天下莫能与之争。
古之所謂曲則全者、豈虚言哉。
誠全而帰之。
曲れば則ち全し。
枉(マガ)れば則ち直(ヨロ)し。
窪めば則ち盈つ。
弊(ヤブ)るれば則ち新たなり。
少なければ則ち得(エ)。多ければ則ち惑う。
是(ココ)を以て聖人は、一を抱きて天下の式と為る。
自ら見(アラ)わさず、故に明らかなり。
自ら是(ゼ)とせず、故に彰らかなり。
自ら伐(ホコ)らず、故に功有り。
自ら矜(ホコ)らず、故に長ず。
夫れ惟争わず、故に天下能く能く之と争うこと莫し。
古の所謂、曲れば全しとは、豈(アニ)虚言ならんや。
誠に全くして之に帰さんのみ。
曲がったものは
曲がったそのままで生命を全うしている。
身を屈することあれども
(把われずにいれば)それでよい。
窪んでいればその窪みに恵みが満ちるなり。
古いものは弊(ヤブ)れ
そこから新たなるもの生れ出でる。
少ないという事はこれから得るという事。
多ければ惑い生じ易し
(外面に把われず融通無碍であるがよい)。
この理解を以て聖人は一を抱いて
(道と一つになって)天下の手本と為る。
自己顕示をする事もなく、故に明(メイ)なり。
自己是認をする事もなく、故に彰(ショウ)なり。
自ら伐らず、故に功績が残る。
(※伐…ほこる 切る)
自ら矜らず、故に長く続く。
(※矜…ほこる 憐れむ)
道の本質は相対の世界ではない。
故に天下も能く能くこれと争うことなかれ。
古のいわゆる曲がれば即ち全しとは、
正に真実の言葉である。
誠に天命を全うして根源に帰るのみである。
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境内散策後、もう一度、拝殿にてご挨拶致しました。