神社本廳の通達により、各地で鎮静祈願祭が斎行されています。
アメブロでも複数の記事が見つかります。
3月15日の高麗神社での月次祭も、祈願祭を兼ねた祭祀になっていたので、妻と参列して参りました。
鎮静祈願祭は、
・アルコールで手の消毒
・マスク着用
・今回は参拝者の大祓詞の奏上は行わない
・窓は開け放たれ本殿内を風が通り抜ける
という配慮の元で、斎行されました。
祭祀が始まると、高麗宮司の厳かな祝詞に心を合わせ、皆で流行の鎮静を祈りました。
祈りと共に現実的な対応も怠らず、皆の力を合わせ、明るい世を顕して行きましょう。
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~如是我聞~
老子道徳経
第六十章 より
治大國、若烹小鮮。
以道蒞天下、其鬼不䰠。
非其鬼不䰠、其䰠不傷人。
非其䰠不傷人、聖人亦不傷人。
夫兩不相傷、故徳交帰焉。
※一般的に、老子道徳経 第六十章では、
䰠 の字は神の字で表記されていますが、
神は䰠の借字とありまして、これを採って、
ここでは䰠の字で、表記しております。
大國を治むるは、
小鮮を烹るが若し。
道を以て天下に蒞めば、
其の鬼は䰠ならず。
其の鬼は䰠ならざるに非ず、
其の䰠は人を傷わず。
其の䰠が人を傷わざるのみに非ず、
聖人も亦た人を傷わず。
夫れ両つ相傷わず、
故に徳は交ごもに帰す。
大きな國を治めるには、
小魚をじっくりと煮るが如く、
やみくもに掻き回わしたりして
乱さないことである。
そのように、道を以て
天下に臨むとするならば、
鬼の靈力によって、
禍がもたらされることはない。
鬼には靈力が無いのではなく、
人力の及ばない靈力によって、
人民が傷ついたりすることが
ないということである。
(道を以て天下に臨めば)
靈力という隠れた力だけでなく、
有道の士の政(まつりごと)により、
生活は調和へと向かうだろう。
鬼の靈力も有道の士の政も
共に人民を傷つけることなく、
故に、幽・顕、こもごもの徳は、
人民のもとに帰すのである。
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