一昨日は、冬至を過ぎてから初めての新月新月

昨日は、多くの職場で仕事納め。。PC

いよいよ令和初の年明けに向け、新たな時代の胎動を感じます。富士山

 

今年の出来事、今年の内にッルンルン

と、いうことで。。メモ

 

かいげん巡行③ 深山路を拓く から続きます。

 

深山路を拓いた一行は、台風前からの巡礼道に合流しました。

かいげん巡行 巡礼道

お昼休憩の道の駅へ向かって歩きます。

秩父巡礼道からの眺望

晩秋の空が、見守ります。

かいげん巡行 青空

遠くに道の駅の標識が見えてきました。

かいげん巡行 道の駅へ

晴天の下でのお昼御飯は、もうすぐです。

両神温泉薬師の湯 案内標識

秩父エリアには、道の駅が8か所あります。

両神温泉薬師の湯 門柱

この日は、ライダーに優しい町、小鹿野町の道の駅でお昼休憩です。

ようこそ小鹿野へ

お昼休憩の後、しばらく舗装路を歩きます。

 

札所を目指し、西晃山光珠院(たらちね観音)という単立寺院を過ぎると、観音茶屋 という食事処があります。

 

こちらのお店の方々は、巡礼一行を見ると、温かい労いの声を掛けてくれました。

更に参拝から帰る時にも、本当に素敵な笑顔で、参拝へのお礼を言われました。

 

今回は立ち寄れませんでしたが、次回参拝の折には食事も楽しみ、お礼の氣持ちを伝えたいと思います。

節分 鬼ころり が美味しそうです。

ニコニコ ありがとうございました ニコニコ

 

観音山トンネルが近づいてくると、その手前に、紫雲山地蔵寺という単立の寺院があり、多くの水子地蔵尊が祀られています。

(写真アップは控えます)

お願い 南無福徳無量地蔵大菩薩

 

注意 鷲窟山観音院 🚻は汲み取り式です。

女性トイレ 特に女性の方は、トンネル手前のトイレで用を済ませておくことをお勧めします。

観音山トンネル

観音山トンネルをくぐると、、

ガードレールには、四国霊場の名前が掲げられていて、山門前まで導いてくれました。

観音山 四国霊場 プレート

せせらぎに、軆も心も癒されます。

鷲窟山 観音院 せせらぎ

1丈3尺の石造りの仁王様が護る山門へ到着。

観音院 一丈三尺の仁王像

一行は、仁王様へのご挨拶の後、296段の石段を登ります。

鷲窟山 観音院 本堂

本堂にお祀りされている聖観音像は、行基作と伝わります。

かいげん巡行② 巨巌の記憶も記したように、私はこういう氣の場所に心惹かれます。

鷲窟山 観音院 聖浄の滝鷲窟山 観音院 聖浄の滝壺

聖浄の滝を不動明王様が見守っています。

観音院 聖浄の滝 不動明王

多くの石佛も見守ってくれています。

鷲窟山 観音院 磨崖仏

御佛が見守る中、瀧の飛沫を浴びていたら、軆も心もクリアになりました。

お願い ありがとうございます。

鷲窟山 観音院 慈母観音

本堂の向かって右側に、慈母観音とお大師様がお祀りされています。

鷲窟山 観音院 大師堂

かいげん巡行③ 深山路を拓く でも綴ったように、山の中でお大師様のお言葉を思い出したこともあり、当日の札所でご挨拶できるご縁に感謝です。

 

如是我聞

卽身成佛義(お大師様40代半ばの著作)より

卽身成佛の偈頌

是の如くの経論の字義差別、云何。

頌に曰く

六大無碍にして常に瑜伽なり

四種曼荼各離れず

三密加持すれば速疾に顕はる

重重帝網なるを卽身と名づく

法然に薩般若を具足して

心数・心王、刹塵に過ぎたり

各五智・無際智を具す

円鏡力の故に実覚智なり

 

そくしんじょうぶつのげじゅ

 

かくのごとくのきょうろんの

じぎしゃべつ、いかん。

じゅにいわく、

ろくだいむげにしてつねにゆがなり

ししゅまんだおのおのはなれず

さんみつかじすればそくしつにあらわる

じゅうじゅうたいもうなるを

そくしんとなづく

ほうねんにさつはんにゃをぐそくして

しんじゅ・しんのう、

せつじんにすぎたり

おのおのごち・むさいちをぐす

えんきょうりきのゆえにじっかくちなり

 

卽身成佛の謳(うた)音符

 

このような経典や論書

金剛頂経、大日経、菩提心論)

に説かれる「卽身成佛」という

字の意味や言葉の意味と

(他の経典で説かれる成仏との)相違は、

如何なるや。 
 

是の如く吾は謳う
 

―【体】―

現象・実在の両世界の六つの存在要素

地 水 火 風 空 識大は、區分けなく、

常しえ(とこしえ)融け合う。 

 

―【相】―

四種の曼荼羅(マンダラ)は

眞実の其々の様相を表し、

互いに離れず一如なり 

 

 ※四種の曼荼羅

 大曼荼羅

  金剛界曼荼羅・胎蔵曼荼羅

 三昧耶曼荼羅

  独鈷や金剛杵などの法具や、

  手印などで象徴された佛の徳

 法曼荼羅

  眞言や種字(梵字)で象徴された

  諸佛・諸尊の佛の智慧

 羯曼荼羅

  行為そのもの

  (加持祈禱・眞言読誦など含む)

 

―【用】―

佛と我々の身・の三種の

行為形態感応により

悟り(差取り)は速やかに顕る。 

 

―【瑜伽】―

帝釈天が世に投じた網の目の宝珠は

幾重にも重なり合い萬鏡の如く輝き、

この世の総ての身體が互いに映し合う

是れ卽身と云う 

 

―【成佛】―
あらゆるものは、あるがままに、

無辺の智を具え(そなえ)

 

すべての靈止(ひと)は、

心王(心そのもの)

心教(心の作用)具えて

塵の数よりも多い程に無数に存在す 

 

(靈止の心王と心教には)

五種の如来の智慧

際限のない佛の智慧が

そのまま各々に具わるなり。
 

その如来の智慧を以て、

鏡に映る明らかなる姿を観るが故に、

自分自身がいかなる存在であるかを

自覚する者と成るなり。

前の記事にも書こうと思いましたが、文科省に声を大にして言いたい・・・

 

という字は、ではなくの方が良い!!

 

「背景から選択して、囲んで分ける」という意味が、一目で解る氣がしませんか?