私がお世話になっている方の

息子さん(可愛い鳥です)

亡くなったと聞いて

私もいろいろと動物とのつながりを

思い出して

プラプラと公園を歩いていたら

 

飼い主のおばさんに似た秋田犬2匹

いや

秋田犬に似た飼い主のおばさんなのか

どちらにせよ

2匹とおばさんが

よく似ている

家族に出くわした

 

顔・体格・雰囲気

 

動物が好きな私は

思わず名前を尋ねたが

ぶっきらぼうに返答され

不愛想なところも

よく似ていて

 

それもまた

何とも愛らしい

 

愛犬のももは

10年以上前にあの世に行ったが

一度も帰ってこないので

死んだ父親と

旨いもんでも食べているのだろうと

思いをはせる

 

ももは

私が高校生の時

バイト帰りに

出会った犬

 

暗闇の中

自転車を急いで漕いでいると

何か生き物の気配を感じ

不審者と思って

恐る恐る振り返ると

満面の笑みを浮かべて

私を追いかけているではないか

 

そのまま我が家に到着し

翌日

もも

名付けられていた

 

ももはうちの母親に

どんどん似てきた

 

後姿やせっかちなところまで

 

寝食共にし

苦楽を共にし

話しかけ

家族の喧嘩が始まると

心配そうに

私らを見つめ

落ち込んでいると傍にきて

共に生きてきた者同士

 

ペットという言葉を使うのが

なぜか抵抗がある

調べると悪い意味ではないのだが

仕方ないので

使ってみよう

 

夫が橋の下から

猫を拾ってきて

「飼ってもいいか」と

尋ねてきたとき

大いに賛成した

 

しかし

共に生きることを選択するということは

死を見届けることも

合わせ持つ

 

だから

喜びと悲しみはセットで

受け取らなければならないと

その覚悟が必要だった

その覚悟をするのが怖かった

 

次に夫は保健所から兄弟を引き取り

その後、友人からも引き取り

私は3人の母になった

3匹か

 

あの世に逝ったももは

骨肉腫

大型犬はよくなるらしい

 

少しずつ痩せていく体

痛いんだろうなって思う表情

言葉が通じないから

どうしてやっていいか

分かってあげられず

心を痛めた

 

ももが死んだとき

うちの母は

父が死んだとき

以上に

泣いていた

 

おいおい!

と突っ込みたくなりますが

 

人間だから

動物だから

なんてことは越えて

悲しみが大きいのです

 

緩和ケア病棟に勤務したとき

飼い犬に病室で会ってもらうことを

たまにしていた

 

コロナ禍になってからは

それもできない状況が続いているが

 

さっきまで

仏頂面な患者さんが

飼い犬に会った瞬間

何ともまぁ素敵な笑顔

 

症状コントロールに使う薬剤の効果なんて

この場面と比べたら

大したことはない

 

自宅でなるべく療養できるのであれば

このペット達との面会制限もなく

好きなだけ触れ合い

いつもの部屋の景色と

匂いと音と共に生きていける

そこには家族もいる

一人暮らしなら

一人暮らしの気楽さがある

 

全ての疾患の終末期患者さんが

自宅で亡くなることを

推進するつもりはない

 

病院は医療の場であって

暮らしの場ではない

長期入院をせざるを得ない方も多いが

 

長期入院には

暮らしの場を意図的に作る必要がでてくる

 

ペットの話から

在宅療養まで話が広がり過ぎた

 

でもそれは

動物と人間が種を越えて

共に生き支え合っているから

 

ペットと飼い主は似てくるという話

 

夫と猫の長男は特に似ている

優しい性格もでぶっとした体恰好も

 

こんな話を親友にしたら

同僚に土佐犬に似たおばさんがいると

 

そのおばさん

きっと土佐犬を飼っているのだろう

 

何だか

スタッフが犬に見えてきた

 

 

 

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私の看護師人生で

はじめての"受け持ち患者さん"

はじめての"がん患者さん"

はじめての"お看取り患者さん"

私のお父さんです

 

私の背景に興味を持っていただけた

稀有なあなた様は

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