結婚記念日は私のお母ちゃんが

ケーキを買ってくれて

美味しく食べた

 

そんなブログを書きましたところ

何もしていないという

批判を恐れた夫から

 

ビール・バームクーヘン・ゼリー

など

沢山送られてきた

 

嫌味だったのかしら・・・

 

 

「何かくれぇ~」

というように

夫には見えたらしい

 

私が鬱状態になったとき

お酒は控えてました

 

夫は毎日飲んでいましたが

もし

私がそれに付き合ったら

アルコールを拠り所にしてしまう

かもしれないと

飲酒が怖かったんです

 

トリンテリックス内服中は

アルコールは避けたほうがいいとも

 

送ってもらったビールを

ちびちびしながら

 

6/4が結婚記念日なので

この機会に

配偶者との死別に

思いを巡らせてみる

 

私はよく

母が死んでしまって

夫が死んでしまって

子ども達が死んでしまったら

私はどうなるのか

ということを

考えています

 

予期悲嘆

 

いつか死別の日がやってきてしまう

 

思いを巡らせても

悲嘆が和らぐわけでも

死別の時期をずらせるわけでも

ない

 

心の準備をしておくほうが・・・

と言いかけましたが

なんか違う

 

死別を意識することによって

今をより大事にできるということ

 

これに尽きるか

 

別におしどり夫婦を目指すのでも

芸能人のナイスカップル賞

的な雰囲気を出すつもりはない

 

そんな賞をもらったって

実像は夫婦にしか分からない

賞なんて貰わないほうが

・・・

 

アハハ

 

50年以上前の研究ですが

人生のストレスで一番大きいのは

”配偶者の死”

です

 

Holmes, T. H. & Rahe, R. H. (1967).

 “The social readjustment rating scale”, 

Journal of Psychosomatic Research, 11, 213-218.

 

私は”子供の死”じゃないかと

思ったのですが

第5位 親族の死

ここに含まれてしまうのか

 

死別はやはり辛い

 

”いる”

というのが当たり前すぎて

失って

すぐに感じるものではないが

”あ~いないんだ”

身に染みたときに

いいようのない

寂寥感が押し寄せる

 

それは大きな波であったり

さざ波のような小さい波であったり

水面の波紋のような

細やかな揺らぎのようなものであったり

 

そして

いつまで悲嘆が続くのかも分からない

 

しかし

悲嘆が和らいだことを自覚したとき

大事な人を

この私が忘れてしまったのか

こんな薄情な人間だったのか

自分を責める

 

なので

 

あえて

癒されないでいる

ことも

あるかもしれない

 

あと何回結婚記念日の

ブログが書けるでしょうか

 

自分が先に逝くか

夫が先に逝くか

それがいつかは

誰も分からない

 

かといって

今日死ぬと思って生きよっ

熱弁を振るう気もない

 

もし今病気を抱えているのなら

考えたくはないけれど

健康なとき以上に

頭の片隅に死別の時が

過っているだろう

 

昨日

急変した患者さんを

救命センターに運びました

 

そのとき

夫は

救命センターに消えていく妻に

「たえこー待ってるからなー」

大声で叫びました

(仮名)

 

年老いた夫婦です

 

私はその声が頭から離れません

 

結婚記念日と老夫婦のことが重なったので

今日のブログを書く気が起こりました

 

配偶者に限らず

大切な人との日常を

大事にしていきましょう

 

 

夫が書いたこの絵は

 

私と夫以上に

 

昨日の老夫婦の若かりし頃を彷彿とさせました

 

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私の看護師人生で

はじめての"受け持ち患者さん"

はじめての"がん患者さん"

はじめての"お看取り患者さん"

私のお父さんです

 

私の背景に興味を持っていただけた

稀有なあなた様は

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