以前、上司から、


「勤務時間が長すぎる、色んな企画、イベントは自粛して欲しい」


と言われたことがある。


僕は激昂して噛みついた。


2度と、そんなこと言わないでくれって。


僕の仕事の仕方として、やりたいことをトコトンやってしまうというのがあり、色んな業務があるけれど、メインは大学受験を目指す人たちに「日本史B」なり、最近では「日本史探究」を噛み砕きながらお喋りする仕事なので、その噛み砕き具合に工夫を重ねていくと、時間は無限にかかる。


でも、それでいいと思ってるし、もともと、歴史関係のことは趣味みたいなもので、僕にとってはトコトン突き詰めたいことなのである。


でも、その作業を職場でしていると、もちろん、それは仕事とみなされ、残業代を出す仕組みはないものの、実態としては残業してると上司には映り、もし僕が突然倒れ、くも膜下出血などで死んだら、それは、過労死で、上司は管理責任を問われるであろうから、僕に、種々のイベントを自粛しろなどと言うのだと思う。


だから、僕はいつからか、勤務時間を、定時通りに書いて本部に報告するようになった。


好きなことをしてるのに、それを妨げられるような指導を受ける時間が過労であるというスタンスである。


でも、確かに、僕は7時から20時くらいまで、毎日、13時間は職場にいるし、土日も8時間ずつは職場にきて種々のイベントに従事してるから、毎月、140時間程度は残業していることになる。


80時間が過労死ラインということだから、僕は1年間で21回、死んでいることになる。


そりゃあ、上司も、声かけるわ、、って我ながら思うけど、今は、定時の時間でしか業務報告をしてないので、上司は自分に責任が及ばないからか、何も言ってこないけど。


いや、実際、この問題は深刻だから、茶化すような話題じゃないのだけれど、僕は、自分がこんな働き方をしていて過労死しないのか、少し、興味を持っている。


結論としては、過労死しない、、と思うのだが、その根拠としては、やっていることが、誰かに命じられてやっていることではなく、歴史研究という、自分の興味や幸福感に導かれてやっていることだからである。


もし、強制的に、呼び出され、歴史研究とは無関係な事務処理仕事を毎月140時間、やらされていたら、多分、1時間に満たず、死んでるだろう。


っていうのは、誇張が過ぎるが、僕は、誰かに命じられて強制させられるのが、トコトン嫌な性格で、それは、社会人失格の烙印を押されて否定できないどうしようもなさなのだけど、実際、そうだ。


でも、何かの本で読んだことがあるけど、そういう働き方、すなわち好きでやってると嘯いて働く働き方が最も危ないって聞いたことがある。


つまり、楽しくてアドレナリン出てて、本当は疲れ果てて、体が悲鳴をあげているのだけれど気付けないから、ということらしい。


今日も7時から16時半まで、とある研究作業だった。


好きでやっていること。


さすがに長時間で疲れたけど、達成感があって、幸福感があるけど、やっぱり疲れている。


それなのに、これから、趣味の郷土史研究をやりに、地域の勉強会に向かっている。


あまり、そこに職場とプライベートのやっていることの差がない。


だから、いくら職場にいても過労死しない。


って思うけど、さて、この生活は、正しいのか。


体は?


脳は?


心身の状態は?


家庭は?


色々、疑問が浮かびつつ、それでも、今日も、こんな生活。


身体も仕事も家族も人生も一度きり。


どうしていいかは、分からないのだけど、色々大切にしたいとは思っているんだ。