娘8才も息子3才も、僕のことを「お父さん」と呼ばぬ。

「tanyちゃん」と呼ぶ。

僕が高校生以来、友人に、そう呼ばれていたからだが、奥さんは、それに“ちゃん”を付けて、そう呼んでいたのを、娘も息子も踏襲した結果だ。

別に「tanyちゃん」と呼べ、と強制したことはないが、母親が同居する男性を、そう呼ぶのだから、子供たちが、それに倣うのは、自然とも言える。

しかし、成長過程で、気づくもので、娘などは、小学校にあがる前後で、僕を、世間で言うところの「お父さん」であると認識したらしく、外では、僕のことをそのように称して、家とは区別しているようである。

来年4才になる息子にも、それを教えてやろうと思って、「いいかい、tanyちゃんには名前があって、“たかし”と言うんだよ、そして、僕は君のお父さんなんだ、もし君が望むなら、“お父さん”と呼んで貰っても良いんだよ」と。

息子は、しばし、困った顔。

やがて、押し入れから、人形の熊を引っ張り出し、「tanyちゃん、このクマさん、名前、何だ」と問う。

“くまもん”のような売れっ子の熊ではない“くまさん”なので、「くまさん」だよ、と答える。

すると、息子、満足そうに「だよね~」という。

要するに、僕は「tanyちゃん」という種族で認識されていて、他に、峻別する必要がないのだから、その呼称で良いだろう、ということだ。

なかなかアタマ良い。

しかし、後に、姉8才から、そのクマには「チョコ」という名前が付けられていることを知った息子。

改めて、「僕の名前は?」と問うてみると「ぶほっ」などと意味不明の発音でお茶を濁す3才男児。

やはり世間に晒されて、「こいつは、父親であり、独自の名前を有している」と思い至るまで、待つしかないのか。

さて、如何。