昨日から、県議会のメインである、質疑が始まっています。6月30日まで、議会どっぷりな日が続きます。





いろいろ報告したいことが多過ぎて、整理できていませんが…


一番インパクトだったのは、立花隆さんが亡くなったことです。



●「調べて書く」貫いた立花隆さん 知の巨人が残した警句




わたしはこの記事にあるように、東大の学生だったころに「調べて書く」ゼミに参加し、立花先生に薫陶を頂きました。



私の東大時代の学生生活を充実したものにしてくれたのは、この立花ゼミでした。
サークルのようなもので、いまでもかつてのメンバーとは絆を感じます。



立花先生は、仕事では厳しいひとでしたが、私たち学生には、常にやさしく、明るい方でした。
一流の人のあり方を、教えてもらった人でした。
わたしのHPのプロフィールにも、そのことを書きました。



私は学生時代から、日本の歴史にたいする自虐史観から脱却し、保守的な言動をしていましたので、立花先生とはよく論争になりました。


代々木のオリンピックセンターで合宿をしたときも、何かで議論していたら、
「右翼にも、話していて気持ちのいい右翼と気持ちの悪い右翼がいる。あなたは気持ちのいい右翼だね」と言われ、
「先生わたしは右翼ではありません!(苦笑)」と言い返したのを覚えています。






その他、たくさんの思い出があります…
学生何人かで、徹夜で朝まで、ネコビルだったでしょうか、編集作業をしていたとき、先生が急に「築地に寿司を食いに行こう」と言い出し、築地場内のお寿司屋に連れて行ってもらいました。確かひとり3000円以上もしたのに、全部ご馳走になったと思います。とことん学生にやさしい方でした。


寿司も美味しかったですが、私は初めての築地体験で、築地の活力に驚き、いろいろなお店や卸の軒先を覗きながら、私がボソッと「下手な本を読むよりずっと世の中がわかりますね」と言ったら、先生が急に振り返り、すごくうれしそうな顔で「そうだろう!」と言ってきました。人間好きな方でした。


そう、思い出した、築地に行くときもひどい目にあいました💦
立花さんの6人乗りくらいの車で行くこととなり、なぜか運転手が私となりました。私もそんな大きな車は初めてだし、場所も全然わからないのですが、おそるおそる発進すると…
なんと道案内して欲しい立花さんも、助けて欲しい仲間の学生達も、全員いびきをかいて眠っちまった! 起こしても起きないし!
ひとり涙を流しながら、あちこち散々ウロウロして、築地に着いたのでした…鮨のご馳走はそのお詫びだったかな?
まあいつもこんな感じの、いきあたりばったり、滅茶苦茶なゼミであり、立花先生もノリで生きてるのでは?と何度も思いましたが、何があるかわからない面白さにあふれた時間でした。多分ゼミ第一期生はみな共感してくれると思います。






先生は本当に子供のような、純真でシャイな方で、そして学生を愛してくれた方でした。
「知の巨人」などと言われていますが、我々ゼミ生にとっては本当に気さくな、好奇心の塊の人で、「それは何?」と聞いてくる、いつも楽しそうな人でした。
そのスタイルから、楽しいもの、ことは、遠慮せずドンドン追いかければいいんだ、と、心の若返りをさせてもらいました。それがどれだけ、その後に役に立ったか…

思想信条は違いますが、私にとっては間違いなく「先生」でした。
20年以上経ったいまでも、先生のニコニコした笑顔を思い出すと、目頭が熱くなります…


最近はなかなかお会いする機会がなく、2年前の県議選のときに、ご支援お願いのお電話をしたのが最後となってしまいました(ご支援の許可も難航しました(苦笑))。
当選報告かねて、もっと早くお会いしに行っておけばよかった。痛恨のミスでした。
本当に悔やまれます…


先生は「葬式にも墓にも関心がない」そうですが…

いま先生は天国?あの世?魂になった?どこでどうなったのかなってないのか、わかりませんが、
気分屋で好奇心の塊の立花先生ですから、あちこちプラプラされていることと思います(^^)
いつまでも、あのニコニコした顔で、私たちを見守っていてください。
残された私たちは、いつまでも心の中で、先生を忘れず、活躍することで、恩返しをしたいです。


ご冥福を心からお祈り申し上げます。



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