福田恆存没後25年シンポジウム!



私が学生時代から、敬愛し学んできた、文芸評論家の福田恆存の、シンポジウムが、週末ありました。









私の中では、福田恆存は、ものを考える座標軸です。大学時代にアルバイト代を貯めて、唯一買った作家全集が、福田恆存でした。

福田恆存ならどう考えるだろうか?福田恆存ならどう行動するか?何度考えたかわかりません。



全共闘華やかなりし頃、暴徒に近い学生達とも敢然と言論で戦った、唯一の言論人です。その勇気、その強靭な論理力に、いつも読むたびに示唆、感銘を、もらってきました。



また現代の混迷の数々を、相当前から予言してきました。たとえば私が祝日正常化に熱心なのは、福田恆存の指摘がバックボーンにあります。「現代の祝日は、単なる休日になっている」など



この日は、人間・福田恆存をよく知る方から、新進気鋭の私より若い批評家まで、様々な識者が登壇するシンポジウムに参加し、学びを深めてきました。


これからも、巨人・福田恆存にならって、本質的思考のできる、先見性のある、政治家を目指し精進します。





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福田恆存本人テープ「塹壕の時代」1970


民主主義はそれほど良いものではない。

与えられた民主主義ではない。


「軍国主義が悪かった、軍部が暴走した」はウソ。

軍部より、周囲の圧力の方が不愉快。

軍部がふんぞり返って、国民を痛めつけるのではなく、

国民特に最下層が、戦争を支持していた。あの戦争は民主的に行われた戦争である。


大政翼賛会などを取り上げると、全体主義のように見えるが、

結局は日本人の明治以来の体質、お上に任せる体質が、戦争を招いた。

戦争に対する強力な抵抗は、ほとんどなかった。


マッカーサーがやってきた時も、国民は歓喜の声で迎えた。

終戦の詔勅も、実はほっとした、嬉しかった。いよいよ米軍の上陸が迫っていたから。形は詔勅であっても、完全に国民の声を代弁したものだった。

アメリカを解放軍と呼び、マッカーサーは神様だった。

ゼネストも同じ構造。


日本人は、その時々で、右に揺れ左に揺れてきた。

自ら選びとって。決して上から押し付けられてではない。

戦後の欧米礼賛、の反動。


なぜ日本人は、日本の国が強くならなければ、自信が持てないのか?

個人の強さ、というものを、持てないのではないか?


全共闘「学生も悪いが警官も悪い」

こういう言い方のときは、つまりは、警官が悪いと言いたい。




浜崎洋介 41


繊細な文芸評論家が、なぜ粗雑?な政治評論ができたのか?


1、失われている日本を、敢えて取り戻そうとする姿勢保田與重郎、福田和也

2、何かを真剣に信じるのをやめる宮台真司、東浩紀、

3、ポストモダンの左旋回。物語再構築柄谷行人


3に自分はかかわった。彼らだけが真剣に見えたから。

しかし挫折し、孤独に落ち込んだ。

そのとき、福田恆存。立場から始まらないから魅力。


「一匹と九十九匹と」

自分より信じるもの。大きなものを信じられるか。

例:自然、歴史、言葉(清水幾太郎論)その外に我々は立てない。その中に立つことで、


分断されている現代に。




金子光彦 62


「福田恒存論」自費出版。いまは著作を集めている。

黒田良夫著作集福田と終生付き合った。





由紀草一 


福田先生は保守主義者ではない。リベラリストだが、そういうと左翼崩れにみえてしまう


福田の名前は、最近あまり聞かない。

塹壕の時代が深まってきた。議論はいやがる。狭い中でのんびり愉快に過ごす。本当にそうなの?と言うやつは煙たがれる。


自分を超えたもの、すなわち国家への忠誠心

自分を超えたもの、すなわち両親(良心)への忠誠心


権力は個人を否定するもの。そうしてルールメイクする。個人と国家は最初から対立する。必要だが、愛着は持てない。

自由と権利は違う。  


国家忠誠心は目に見える。

良心忠誠心は見えないが、

危急存亡のとき、

戦後、あらゆる戦争は悪。となったが、これはかなり極端。


未来に向かう力過去の総体、伝統から、連帯感は持てる





佐藤松男・現代文化会議



大学2年から読んだ。平和の理念。

人間この劇的なるもの、アポカリプス論、


魅力ある理由

1、文章スタイルユーモア、レトリック、満載

2、人間心理への鋭い洞察当用憲法論で、人類普遍の原理であり、

3、反時代的発言を勇気をもってやった。「大きな敵と戦え」(億万長者婦人のヤヨイに言わせる)


昭和42年当時、憲法を批判できる空気ではなかった。そのときに当用憲法論で批判した。ポツダム宣言は無条件降伏ではなかったことも。

昭和53年、江藤淳はやっと言った。42年当時は言わなかった。保守反動レッテルを恐れたのだろう。

清水幾太郎の保守転向を厳しく批評。

石原慎太郎「NOと言える日本」も一蹴。今なら誰でも言える。言い難い時に言わねば!



模範例

重光「在日米軍基地は撤退頂きたい」と、戦後間もなくにもかかわらず、ダレスにぶつけた。



タブーへの挑戦

生来の気質? 欧州的な、精神的貴族の生き方をしていた。





シンポジウム


佐藤;愛国心は、優劣ではなく、宿命観。それが保守言論の日本礼賛論と異なる点。

私の幸福論「私達がどんな失敗をしても、悪事をしても、自分と関係ない顔をしてはならない。自分の宿命として受け止めよ」


ニーチェ(プラトン)を理解するには、ニーチェを好きにならねばならない。


いま私は、泉のほとりにいるのか?砂漠の真ん中にいるのか?



浜崎;福田は強い! 食い扶持が無くなる覚悟で書いてる。

また、1970年から、左右は無くなると予言。予言できたのは、常識力。


「敵が見えなくなる」と言った。障害にぶつかるから理想がわかる、のに、見えなくなった。個人の自覚も弱くなる。大衆社会。

敵は右でも左でもなく、ニヒリズムの問題。



名古屋からの方;

不定愁訴、自己肯定感の欠除若者に足りない。

文学国語と論理国語にわかれる?その知的怠惰を福田先生は指摘するだろう。



質疑;


Q;いまの新たな塹壕の時代の、課題は?


佐藤;ローレンスカーン「非常に不思議なのは、日本人はアメリカが日本を見捨てないと信じ込んでいることだ」日米関係を再整理すべき



Q;福田が生きていたら、いまをどう語るか?


浜崎;平成30年は、醜い。自分で立たないことを決めた。

金子;令和改元で皇室を身近にかんじて、良い。同時に日本を極端に礼賛しないよう、戒めるのでは。

政治は結果だけみるべき。情緒的な、未熟な政治参加を指摘するのでは。

由紀;国語分断も浅はかな考え。文科省不要。

佐藤;昭和50年終わり頃「本読むのはいいから外国行って見てこい」

俺は1人でやっていくという気概。