清水秀樹・ティーダプランニング社長 講話!
今朝は美浜区倫理法人会へ。
お知り合いの、C−NET萬燈社長のご案内で、パーキンソン病にかかられながらも、レストランを群馬で経営されている、清水秀樹さんのお話でした。
http://tiida-planning.wixsite.com/official
頑張っている姿に、大変元気をいただきました!
筆が持てる…仲間がいる…親が手伝ってくれる…仕事がある…
その「当たり前」に感謝しながら、諦めずに頑張ろう、落選して苦しいなどと言ってられない、
そう思わせて頂きました!
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「ティーダ」とは、太陽、の意味。
母が料理を作ってくれている。料理長も74歳
自分では作業は全くできないが、多くの人のおかげで。困難を力に変えて。
ボールペンでは一切書けないが、筆では書けることに気づき、よく書いている。
難病と共に生きる。戦うものではない。共に生きていく。
少年の夢…将来は社長になりたい。ただ、何をもってかは、なかった。
そこで就職活動では、社長のことを社長に聞こうとおもい、フィットネスクラブに入った。
気の合った滝川さんと、スポーツ品ショップを開業。しかしすぐ廃業。そのあとも色々あり、レストランプロドゥースを学ぶ。
転職を繰り返し、迷走した。変えれば変えるほど、立場が悪くなり、給料も下がる。
そんな中病気を発症。身体が動かない、声が出にくい…
普通ならそこで諦めるのだろうが、私はそこで絶対に社長になると決意した。モチベーションになった。
進行性の病気のため、しばらくしてボールペンも書けなくなっていた。一枚の履歴書を書くのに3日かかったが、それを持参してレストランチェーンの店長となった。
試練だった。15時間労働、自分の時間は5時間のみ。そのうち1時間を自分の勉強・準備にあてた。調理師免許など。残り4時間で睡眠。
3年で調理師免許を目指したが、2年半で包丁を握れなくなった。パーキンソン病として診断された。
しかしなんとか無事に免許を取得できた。
渡良瀬遊水地に近い、500坪の土地を、貸してもらった。
マーケティング理論では、5万人ほど商圏が必要。しかし周りには1.5万人しか住んでない。
目的を持った人しか店に来てくれないので。
この夏以降、売り上げが下がってきたので、滝川さんに相談した。そうしたら、銀座でレストランをやっている萬燈さんと会えた。それがなければ今日この機会はなかっただろう。
毎日のように連絡をくれて、有難かった。
書をプレゼントするようにしたら、皆さん泣いて喜んでくれた。
最初は「世間の役に立たなくなったらどうしよう」その懸念を吹き払ってくれた。書を書けるのは嬉しい。
今でもほぼ毎日仕事をしている。時間がかかるが、靴下を履く、ズボンを履く。仕事がなかったら多分寝たきりになっていた。
わたしにはたくさんの夢がある。
店を大きくしたい。
幸せな結婚をしたい。
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萬燈社長…
銀座のお店、3年間大赤字だったが、やっと最近席が埋まるように。
諦めないでやり抜けば、道は拓ける。
お店の周りにお花がたくさん。
ご両親も「息子に感謝している」感動した。
3つ誓った。
1、みんなでティーダに集う
2、定期的に通う
3、倫理で講話。まさに今日!
金会長の最後の挨拶