新保祐司さん講演「出光佐三と日本人」
この週末も、都議選支援で、都内入りをしていました。
自民党の勝利のために、精一杯、汗をかきます。
合間を縫って、靖国神社にて、国民文化研究会主催、都留文科大学の新保祐司教授が講師の「出光佐三と日本人」を聴いてきました。
実利ばかり追いがちな現代、選挙ばかりの政治では、なかなか聴けない、本質的なお話を聴けました。深い感動を覚えました。
何よりも、出光佐三と言う人に、改めて大変感激しました。
出光佐三が亡くなった時に、天皇陛下がわざわざ歌を読むほど、深く信頼されていたのは、それだけ日本のために貢献した人であったからだと思います。
映画『海賊と呼ばれた男』を私も以前観ましたが、それと重なってとても良い学びが得られました。
http://ameblo.jp/tanuma/entry-12235673423.html
出光佐三は、素晴らしい言葉も多いですね。
私の後援会役員で同業界の方も、男の中の男、と評していました。
そういう日本人がいた!
もっと深く学びたいと思いました。
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出光佐三の「出光」という名前が、既に只者ではない。
光が出る、神社的名前。
「黄金の奴隷になるな」
これは大正時代の日本人を批判している言葉。
大正時代はいい時代だった、という人がいる。戦後民主主義派。大正デモクラシーなどを褒め称える。
しかし出光佐三はそうではなく、明治に還れ、と訴えた。
出光佐三を取材した人がいるのは「一種の狂気があった」
全然普通の人ではない。
ガソリンスタンドのポールに国旗を掲げるナショナリストだが、といっても、軽薄なニセ愛国者ではない。国家に頼らず、政府に楯突くことも厭わない。
出光佐三という思想家が事業をやったようなもの。
「出光は石油業などという小さなことをやっているのではない。真に働く姿を顕現して、国家社会に示唆を与える」
出光佐三の「日本人にかえれ」は、いままさに必要な言葉。
30年前からしたら、いまは異常。テレビとか視聴率ばかり追いかけ、多様性が大事といって日本性を失った。もう日本人ではなくなってしまったのではないか?
敗戦後…出光佐三は言った。
「グチを言うな」
「戦争に負けることは不幸ではない。精神で負けることが問題」
「愚かなことをやる愚人」それが出光佐三。
それを理解する日本人もいた、ゆえに助けられた。
「信仰に基づき、デンマルクを再建させた」
「卒業証書を捨てよ」…どの大学を出たか、など、関係ない。学校で学んだことなどは、形式的には使えない、活かせ。
内村鑑三「生きた魚は流れに逆らって泳ぐが、死んだ魚は流れに逆らわずに流される」
「大なる愛国心は、えてして、愛国心に見えないことがある」
小林秀雄「僕は乃木将軍という人は、内村鑑三などと同じ性質の、明治が生んだ一番純粋な痛烈な理想家の典型だと思っています」
人間の大事なのは、智より徳。
吉田松陰も、秋山好古も、日本人らしくない日本人。
出光佐三もそうだった。
内村鑑三「美と義」
美…ギリシア。義…ユダヤ
北欧は、美より義。南欧は美を重んじる。
日本は、美を重んじることでギリシアに似てるが、時折義を重んじる。
非凡なる凡人、それが明治日本人。
司馬遼太郎「江戸時代は、神なきプロテスタンティズム」
天は自ら助くる者を助く、という自省論を、内在していた。
ただ「そのあと、明治末期に、その明治の精神が干からびていった」と司馬さんは言った。
豊潤さ。自分の中の潤いを持って。