小千谷談判の決裂によって、新政府軍と長岡藩の戦い、北越戦争が始まります。

 

長岡藩兵は、近代的な訓練と最新兵器の武装を施されており、河井の巧みな用兵により、開戦当初は新政府軍の大軍と互角に戦いました。しかし絶対的な兵力に劣る長岡軍は徐々に押され始め、さらに新政府軍の奇襲もあり、長岡城を奪われてしまいます。

 

通常、一度城を奪われたら、城をあきらめ、撤退します。しかし、河井は違います。もう一度、長岡城を奪い返す作戦を立てたのです。

 

河井の作戦は、長岡城の東北に位置する湿地「八丁沖(はっちょうおき)」を深夜に渡って城に奇襲をかける、というものでした。八丁沖は、中央部分が底なし沼になっていると言われ、一面に葦が生い茂り、「魔物が棲む」と言われる湿地でした。河合は、このような場所であれば新政府軍も守備が手薄になっているだろう、と予想し、あえて非常識な進軍方法を選んだのです。

 

約600名の兵を率いた河井は、暗闇の中を6時間かけて八丁沖を渡り、奇襲。狙い通り、八丁沖からの敵襲を想定していなかった新政府軍は、対応出来ず敗走します。長岡藩は、河井の指揮の下、一度失った城を奪回するという困難な作戦を、見事成功させたのです。

 

深夜に湿地を行軍するという行為は、まさに命懸け。なんとしても長岡を奪い返すという、河井と長岡藩士達の、死をも厭わない決意の程が偲ばれます。


現在の八丁沖(出典:Wikipedia)