幕末の英雄は、新政府軍だけでなく、幕方にも多くいます。その中の一人が、私が大好きな偉人、越後長岡藩の河井継之助です。

 

(出典:Wikipedia)

 

1869年、戊辰戦争が始まると、各藩は、新政府軍の勢いを恐れ、次々に恭順。長岡藩内も恭順と徹底抗戦で意見が分かれます。しかし、河井は幕方と新政府軍のどちらにも与せず、「中立」を貫こうと考えました。「中立」の立場で両者の間を取り持ち、戦争を終わらせようとの思いからです。長岡の町が焼かれること、そして、内戦が長引くことによって日本の国力が衰えることを恐れたのです。長岡を愛するが故の決断ですね。

 

しかし、「中立」が簡単でないことを河井は理解していました。河井は、新政府側に恭順を迫られた際、丸腰では交渉にならないと考え、江戸の藩邸を処分し、家財を売却。その資金を元手に、日本に3台しかなかった当時最新鋭の機関銃「ガトリング砲」を2台も入手するなど、徹底的に軍備増強に取り掛かります。現代のスイスのような「武装中立」を目指したのです。

 

中立という高い理想を掲げながらも、その実現手段として極めて現実的に、軍備を増強した河井のバランス感覚と先見性は、一流の人物であったことを窺わせます。

 

そして、4月26日、新政府軍が長岡に近づきます。河井は「中立」という自らの決断を貫くことができるのか?河井の戦いが始まります。

(続く)