山田方谷 講演! 昨晩は政経倶楽部にて、日本政策研究センターの岡田幹彦先生による「山田方谷」の講演をお聴きしました。 有名な「理財論」の説明が聴けて、とてもよかったです。山田宏・参議院議員もよく引用しています。 人心を立て直してこそ、経済も立て直せる、という教えには、 感動しました! なお今朝は、定例の?長男を幼稚園送り。 私は今日は君津で講演、夜は都内で勉強会と、飛び回ります。 ーーー EUはグローバリズムの一つの表れ。しかし全然良くならなかった。 1%が99%を支配するのがグローバリズム。1%がほとんどの富を収奪する。 イギリスのEU離脱はその表れ。エマニュエル・トッドが指摘するように。 時代の転換期。 山田方谷は、元々農家。 丸川松蔭に5歳から10年学び、両親が亡くなって家業の製油業、農業を継ぐ。 そのあとも京都で陽明学を学び、30歳で江戸で佐藤一斎に学ぶ。佐久間象山とともに、佐門の二傑とよばれる。毎晩の2人の論争で塾生も迷惑。武士の身分も得る。 32歳のときに、『理財論』を著す。経済論。 40歳のとき、藩主の後継ぎ、板倉勝静の侍講(講義人)となる。 45歳、勝静が藩主となり、その信頼のもと、藩政再建の大任を受ける。5万石の小藩。 債権者に、借金返済の延期を要請。必ず払うので、と説得。 節約。質素倹約。無駄金は全部カット。 殖産興業。年貢収入に頼ってもダメ。年に2万両しかない。農業以外の産業を起こす必要がある。 製鉄・製銅業に注力、刃物、鍋、釜、鋤鍬を直売。備中鍬は特に売れた。4年目で収入が5万両となった。紙や漆、柚餅子なども振興。 農業も新田開発を進め、年貢を軽減した結果、大増産。 撫育方、を設置…今なら産業振興局。「いつくしみ育てる」の意味。 民を幸せにする、その結果藩も再生する。 藩札は買い戻して、焼却。民の信頼を回復。 文武両道の奨励と、軍制改革。 方谷は、経済の再建とともに、人心の立て直し・教化に努めた。 「財のみ傾くと文すたれる」 経済至上主義となると、人心は荒廃し、道徳倫理がすたれる。 人心の再建が元、経済再建は従。これは上杉鷹山、二宮尊徳も同じ。 庶民教育。郷校設立…農工商の人の学校。 文武を兼備し、尚武の精神を盛んに。西洋式軍制を採用。 「兵器は西洋の長を採り、士気は吾が豪による」和魂洋才。 この時代、西洋式軍制を導入できたのは、50万石100万石の、大藩のみ。その中で松山藩は5万石なのに取り組んだ。 農兵制「里正隊」創設。1500名。久坂玄瑞と高杉晋作の奇兵隊は、この10年後。これを模範とした。久坂玄瑞「長州及ばず」 民政の刷新。悪政を一新。財務大臣兼農林大臣。 1853年に飢饉がおきたが、餓死者ゼロ。生き神様と人々からたたえられる。 藩政改革は8年で成就。借金完済。更に10万両備蓄。 明治日本国家のひな型を作った。 根本方針… 狭義の経済にだけ目を注ぐのではなく、経済の外に立つ。 「事の外に立つ、財の外に立つ」大局に立つこと。 政治を正し、人心を教化・立て直し、士気を起し武備を整える。(国防は、軍備を整えることではない) 大衆迎合の一時凌ぎに走らない。 平成の首相は、ほとんどが1、2年と短命。それでは仕事はできない。 少なくとも10〜15年、不撓不屈の精神でやり抜く。 「理財論」 理財…財貨を有効に運用すること。

Takashi Tanumaさん(@takashi.tanuma)が投稿した写真 -