1864年、幕府が第一次長州征討を開始し、長州藩は存亡の危機に陥ります。そんな中、幕府への全面恭順に向かう藩の姿勢に危機感を持った男がいました。高杉晋作です。長州藩は無力化され、尊皇攘夷の動きが潰えることを恐れたのです。

 

藩政の流れを変えるべく、高杉は出兵を企図、藩内の部隊を説得に回ります。しかし、結果は散々。高杉自らが創設した奇兵隊でさえも協力してくれませんでした。そんな中、伊藤博文が、力士隊を引き連れ、高杉の下に真っ先に駆けつけます。伊藤という心強い仲間を得て、高杉はついに挙兵します(功山寺挙兵)。

 

高杉の軍は、藩の正規軍を相手に連戦連勝。約2ヶ月の戦いの末、長州藩は再び尊皇攘夷・倒幕に舵を切ることになりました。高杉の勇気、そして伊藤の友を思う心が日本を動かしました。

後年、伊藤は「私の人生において、唯一誇れることがあるとすれば、この時、一番に高杉さんの元に駆けつけたことだろう」と語っています。また、伊藤は、高杉の死後、墓に「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視するものなし」と揮毫します。伊藤は本当に高杉を評価・尊敬していたのですね。

 

私は師匠から、「事は一人から起こるが、一人では進まない」と教えられました。この挙兵もまさにこの教えの通り。私も同志と協力しあい、よりよい日本をつくっていきたいと思います。

晋作の墓