金子堅太郎の活躍を、ロシアも指をくわえて見ていたわけではありません。ロシアの貴族をアメリカに送り込み、金子と同じように宣伝作戦を繰り広げようと試みます。金子の泊まる宿のすぐ上の部屋に宿を取るほど、金子のことを意識していたようです。

しかし、金子の活動によって、米国世論は親日に傾いており、誰もロシア人の話す場所を用意してくれる人はいません。日露間の戦闘は互角の勢いでしたが、アメリカ国内の宣伝戦においては、日本が圧勝していたのです。

 

そして、1905年、開戦時から懸念していた通り、日本は弾薬・補給がつき、戦争継続が困難になります。日露間の講和交渉も上手く運ばず、万事休すか、というところまで追い込まれました。そこで、外相小村寿太郎は金子に、ルーズベルト大統領に講話の仲介を依頼するよう指示します。米国内の親日世論にも押された大統領は、依頼を受諾。大統領の仲介でポーツマス条約が辛うじて成立し、終戦に至ります。日本は間一髪のところで国家存亡の危機を乗り切りました。

 

ゼロからアメリカを動かした、この金子の活躍なくして今の日本は無いことがおわかり頂けたかと思います。まさに「道を拓く男」、金子堅太郎。いつの時代も「道を拓く」リーダーが必要です。まもなく迫る参院選でも、そういう視点で応援する人を選びたいですね。

 

ポーツマス会議の様子