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藤岡信勝先生講話!

今朝は千原倫理法人会にて、藤岡信勝先生の講話「日本人として歴史の真実を学ぶことの重要性」を拝聴してきました。
日頃お世話になっている藤岡先生の講話ですので、他の予定や駅立ちを調整して、参加しました。


自己犠牲の尊さ、犠牲を忘れない日本民族を、誇りに思うとともに、
通州事件を世界に発信するなど、世界において、歴史戦で負けてはならない、と改めて思いました。


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2つの歴史の話をしたい。

1つは山形県。米沢藩の、上杉鷹山。
衣類を供出することが年貢と認められていた。しかし天候に左右される。よって年貢が厳しい。
青木新左衛門は、年貢の軽減を求め直訴をする。藩は、彼の志は多としつつも、当時の掟では重罪のため、磔の刑に。享年26歳。
青木新左衛門は、あらかじめ妻を離縁し、自らの命を捨てる覚悟を決めていた。
千葉だと佐倉惣五郎も、同様の義民として有名だろう。


これは江戸期の農民の中に、農民のために自己犠牲を払う精神、生き方があったことを示す。
青木家はその後代々、青木新左衛門の「新」を、名前につけてきた。いまは青木新一さん。
私の家内は、青木新左衛門の末裔。ゆえに私の息子には、ご先祖に恥ずかしくない生き方をしなさい、と伝えている。


「青木新左衛門を偲ぶ歌」という歌もある。見事に歴史の刻まれている歌で感銘した。作曲した渋谷令子さんも、家内の従兄弟。
橋本妙子さんに歌ってもらった。自腹でCDを作成した。広げたい。



2つ目は、佐賀県の話。基山町因通寺にいった。
「天皇様が泣いてござった」という本があった。しらべかんがさん著。
http://ameblo.jp/hoshusaisei/entry-10857487913.html

この寺は、戦前から皇室と関係が深かった。8回も会ったとのこと。
1945年5月、昭和天皇は因通寺に行幸された。
なぜ陛下が喜んで行幸したか。1つは、戦争孤児を養う施設が、寺の中にあったため。両親と死別した、しかし健気な子供と会ったとき、陛下は泣いていた。


しかしこの本の大部分は、日本人が戦争にかかわって、どれだけひどい仕打ちを受けたか、という話。原爆の犠牲者。シベリアでの残虐な扱い。戦争孤児。日本人が被害を受け、犠牲になった、そういう話。
被害を受けたはずの日本人が、戦後あべこべに、悪逆非道なことをしていた、となった。そのことに憤った本。


本の中に、佐々木テンさんの証言がある。
この人は、中国人の沈という人と結婚し、通州事件を目撃していた。
アメリカ人ジャーナリスト、ウィリアムズ氏の「中国の戦争宣伝の内幕」でも、通州事件を、「古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺」と記している。


通州事件とチベット大虐殺は、中華民族による政治的暴力。
連携して、通州事件をユネスコ記憶遺産に登録するよう、準備している。