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行徳 哲男先生講話!

朝の木更津のあと、千葉に戻り、また夜は館山に来ました。
大変お世話になっている、行徳 哲男先生の講演会「企業感性、感性なき企業は滅びる」でした。


館山市倫理法人会の、こちらも大変お世話になっている、杉本会長の挨拶で始まり、
講師紹介は、またこちらも大変お世話になっている、鈴木会長から。
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先生のお話は、何度聴いても、感動する、素晴らしいお話で、思わず目頭を押さえるときも…
「感動したときだけが、自分が自分に帰れる」は、ハッとしました。
常に感性を磨いていきたいと、改めて思いました。


なお、行徳先生は、明日、誕生日とのことで、お花の贈呈も。
また懇親会では、ご当地のふるさと大使、文月メイさんによる、ミニコンサート。盛り上がりました。

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「行徳」という名前が嫌いだった。そんな品行方正な人間ではない。不徳、背徳を生きてきた。
しかし、安岡正篤先生が「徳とは、品行方正さではない、明るさだ。」
この言葉に救われた。


弥勒菩薩の美しさにも救われた。
ヤスパースが「この顔は、罪を犯した人でなければできない」
だから救われたのだろう。


野性の鴨、というあだ名。
鴨は渡り鳥。1万200キロを、1週間飲まず食わず徹夜で、ニュージーランドから鴨緑江へ渡る。
ある老人からエサをもらった。いつもくれてるうちに、そこに住み着いて、飛ばなくなった。
あるとき老人が亡くなった。そうしたら、鴨は飛べなくなっていた。そして激流に流されてしまった。野鴨の教え。


アメリカの、トーマスワトソン。
3900羽の野鴨たち。
スティーブジョブズ。
IBM
大日本麦酒も甘えていたので、戦後分割されたら落ち目になった。


アサヒビールの、野性の鴨は、中條高徳。
兄と陸軍士官学校で同期だった。
兄が死んだとき、自分は中條さんにそれを伝えるか躊躇ったが、中條さんは大笑して「あいつ、逝ったか!」
実は事前に兄から連絡がいっていた。
この2人に、侍を見た。


昔は水を、買わなかった。
平和を貪っていないか?
平和はタダと思っていないか?
平和とは何か?それを知るのは、鹿児島県知覧に行くことだ。
そこには17歳の若者の遺書がある。
出撃の2時間前「これまでの人生の意味がわかった」そして帰ってこなかった。


平和と豊かさを、貪っている。
そして大事なものを見失いつつある。
野性の鴨から、飼いならされて、飛ぶ力を失っている。
豊かさの中で、感動する力を失っている。
貧しいときは、何でも感動できた。
現代人は、感動する力、感性を、失いつつある。頭社会。頭でしかモノが見えなくなりつつある。


浅間山荘事件が終わってから、振り返った。
現代が生んだ恐るべき病。狂っている。親は何をしていたのか?
みんな東大京大などの出身。
頭でしかモノが見えなくなっていた。
だから人の痛みがわからない。


力とは、優しさ。本当の強さは、優しさにある。
人の痛みを、自分の痛みにできない。
国全体が落ちぶれつつある。


そんな中、頑張っている若者がいる。
松岡修造。
スランプに陥っていた。
ウインブルドンで日本人に希望を与えた。
松岡修造の敵は、サンプラスでもアガシでもない、松岡修造自身だ。修造を倒せ!

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日本でいま、彼は一番燃えている。感動している。修造がいないと日本の温度が下がると言われている。
ああいう男が、男ではないか?


感動したときだけが、自分が自分に帰れる。
鈍ると、帰れず、さまよう。
感ずれば動く。
現代人は、考え過ぎていないか?
その挙句の果てに、鬱になったりする。
考えて解決するものは一つもない。解決するのは、行動のみ。
感じて動く。感じさせて動かす。
経営者、リーダーに、絶対必要な力は、人を動かす力。


西郷隆盛という、人に慕われる人物。
あるのは、情。
私達はいま、冷たく、人の痛みを自分の痛みに、できなくなっている。
いまは「生」が、曖昧。粗末。半端。不確か。
だから他人の生まで、粗末にする。
私を粗末にする人間は、他人を絶対に幸せにできない。
感動なき民族は滅びる。
感性なき企業も滅びる。
頭以上に大事なものがあるのに、気付くべきとき。


なぜいま、生か、不確かか?
死に方を見失っているから。
ガンで31歳で亡くなった若者の遺書がある。
「皆さんありがとう」


2人の子供に…
どうか、心の優しい、思いやりのある子に、育って欲しい。
人が喜んでいるときに一緒に喜べる子に。
私はあと少ししか、側にいてあげられない。だから将来、倒れても、手を差し伸べられない。だから倒れても倒れても、自分の力で立ち上がるんだ。


皆さん…
頼みがあります。
残す2人の子供たちを、どうかよろしくお願いします。
私の命のあるとき、まだ子供は1人だった。もう1人欲しかった。祈りだった。それが通じて、2人目の子供が宿った。私がいなくなったあと、母一人子一人にしたくなかった。三人なら助け合っていける。
父がいなくても、誇りを持って生きるんだ。


もう一つ頼みがある。
私の死に誰よりも悲しんでいる、父と母を、どうか慰めてやって下さい。
私にとっては仏様のような父母だった。自分の全てを捨てて尽くしてくれた。
自分は何の孝行もできないばかりか、親に子供の葬式をさせてしまう。こんな残酷なことはない。
父と母をどうかよろしくお願いします。
人の魂が蘇るなら、もう一度この父と母の元に生まれてきたい。


最後にもう一つお願いがあります。
死んだら骨を、埋めて欲しい。一つは能登半島。もう一つは沖縄に。
ここまで言えるのは、なかなかない。
私は幸せでした。ありがとう皆さん。本当に本当に、ありがとう…


これは、死の言葉ではない。
生の言葉だった。
全てが輝いてみえる。
生きることは一度のみ。
人生にリハーサルはない。


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齢83とは思えない、壮健さでした。




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板橋の会員のジャズシンガーの方も、素晴らしかったです。

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行徳先生の、書。
私もたくさん頂き、「拙」「志」を、掲げていました。