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西鋭夫先生講話!

政経倶楽部の東京・千葉合同例会にて、
スタンフォード大学フーヴァー研究所の、西鋭夫先生の講話でした。

「明治維新・英国の操り人形」というテーマでの講話でしたが、
歴史を裏側から検証する大切さを感じました!



以下断片メモです。

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坂本龍馬の資金源はどこか?
旅費、活動費、遊興費も。
龍馬の暗殺は、敵からやられたのではなく、金を出したやつがやった。


1868年の明治維新。
その5年前、伊藤博文、井上馨などの長州の若侍5人が、ジャーディンマセソン(アヘン業者)の横浜支店の船に乗って、イギリスに留学した。密留学。


留学して6ヶ月。薩英戦争。伊藤と井上が、長州は戦争しないよう説得すべく、帰国した。…?
No!
自分の見方は、ジャーディンマセソンの、エージェント。


当時、清国はもう終わっていた。
次のチャンスは日本。金山銀山があった。それをイギリスは知らないはずはない。
金のために明治維新? 当然。
むしろイギリスは、それ以外の理由でやったことはない。
藩札では、イギリスとしては交易できない。


徳川埋蔵金 12万トン。日本に膨大にあった。
20円金貨、純銀などを作った。
日本の金貨銀貨は、ほとんど日本国内に出回らず、欧米のものを買うために支払いに使われた。
横浜正金銀行もできた。
…国内では紙を使え。国外では金銀を使え。


徳川は250年、全く戦争をしていない。偉大なこと。
日本の近代化というと、みな欧米からやってきたと思っている。
しかし大間違い。ペリーは海賊。
実態は、イギリスの傀儡政権だった。
日露戦争が典型的。なぜ日本はロシアと戦ったのか?


戊辰戦争のときも、徳川慶喜は、大坂城にいたのに、
いきなり上野のお寺に行って、謹慎。
官軍の経費(武器弾薬、服装、食糧など)は、誰が出していたのか?


江戸城無血開城?
勝海舟は幕府の大物なのに、維新のあと政府で活躍。
西郷はイギリスの手下。
勝海舟は、江戸を残しておけば、官軍で使えるよ、と。
無血開城は、もう長崎で決まっていた。


勝海舟は海軍操練所の所長だったが、
なんと幕府の機関なのに、副所長が坂本龍馬。
勝と坂本はそれくらい一体的。


坂本龍馬は、京都の近江屋。
真向かいが土佐藩邸。
当時、龍馬は風邪をひいていた。
4、5人が斬り込んできた。
坂本は頭を斬られて絶命。
中岡は2日生きた。土佐藩士の田中が話を聞いている。
坂本は、なぜ拳銃を、抜かなかったのか?剣を抜かなかったのか?
なぜ中岡は、トドメを刺されなかったのか?
理由は…知っている相手だったから。だから斬られた。


龍馬は「四民平等」と言っていた。
それは困る人達がいた。ゆえに斬られた。
明治政府を作り上げた人達が、隠蔽したのだろう。
坂本の暗殺人がわからないのは、あり得ない。


多くの日本人は、龍馬が好き。
しかし、follow the money。


イギリス大使館は、江戸城を使っている。
横浜にあった大使館が、引っ越したとき、取られた。
イギリスに、日本は断れない。
いまでも新幹線の案内英語は、イギリス英語。


気になるのは、明治維新以降、ずっと戦争をしていたこと。
戊辰戦争は非常に残酷で、かつ最後まで徹底的にやった。
日本は普通ここまでやらない。
官軍が良い悪いの話ではない。身の回りの品や軍艦なども、みなイギリスからもらっていた。
日露戦争でも、軍艦のほとんどは、イギリス製。
明治以降、ずっとほぼ戦争をしていた。これが何を意味するのか?