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寺岡賢先生講話!

伊勢修養団の、寺岡先生の講話を聴きに、政経倶楽部東京に参加しました。
いつもお世話になっている寺岡先生の講話ですが、今日も大変感激し、勉強になりました。

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日本は、繁栄、安定、継続。
100年企業が日本には29,000社ある。
200年企業は世界に7000社あるが、そのうち日本には5000社ある。


企業の最も大事なのは、創業の精神。
国の場合も、天孫降臨。


神話はなぜ大事なのか? 先人が何を見ていた、尊敬していたのかを知るため。
イスラエルでは、神話を忘れた民族は必ず滅びる、という。


同時に、偉人伝。
イギリスに留学した日本人は、東郷平八郎のことを知らなかった。
日本を知り、立派な偉人、憧れの人を教えることが大事。


アメリカが抜き去った、3つの心
1.宗教心…畏敬の心
2.道徳心…教育勅語
3.歴史

宗教心の排除が進んでおり、ブラジル人なども来てるのだから、給食で「いただきます」も言わなくなった。


天孫降臨。
天照大神は瓊瓊杵命に「知らせ」と命じた。徳で治める。
逆は、うしはく。
フォルクスワーゲンのような、株主だけを考える経営は、うしはく。
日本では皇室は国民を大御宝と呼ぶ。
三種の神器も、磨くもの。


大和言葉だと、
母さん…カッカと明るい
父さん…貴いひと

カガミから、ガを取ると、カミ

世直しは、余直しである…誰かのせいにしない。

子供は親の鏡である。
…中山先生は、子供がタバコを吸って捕まったとき、肩を組んで帰った。


陛下は、すべては自分の責任、と考えられている。
在位中に2度も震災があったことを、悲しまれている。



民に 利(くぼさ) あらば
なんぞ聖造にたがわむ



陛下の思いに国民が応えてきた、という国。
陛下はなぜパラオに、今年4月、行かれたか?

パラオはスペインの植民地だった。ひどい統治で、人口は10分の1になった。そのあとドイツに売却、そのあと日本が統治となった。
まずやったのは、教育。衛生の向上。インフラ整備。
決して上から目線ではなく、学校建設なども一緒にやった。

いまの日本人もそう。
イラク駐屯で復興支援したとき、外国軍は、5時になると、終わりになる。
日本の自衛隊は、5時になると、皆さんお帰りください、あとは我々がやっておきます。

ペリリュー島には、当時東洋一と言われた滑走路があった。
中川大佐が守備隊。10000人。
現地人は、日本の兵隊と共に戦おう、と決めた。
中川大佐に言いに行ったら、貴様ら土人と戦えるか!と反対。悲しかった。
現地人達が仕方なく、船で出航したとき、日本軍が笑顔で見送ってくれた。現地人達はみんな泣いた。

米軍は4万人。上陸前に17万発の爆撃をした。
そして1万人か上陸したとき、なんと6000人が死傷。ほぼ全滅。
3日で落とせると言われていたが、70日以上かかった。
我々が1日でも抵抗をつづければ、家族が1日生き延びる。玉砕も禁じた。

浜は血で真っ赤に染まり、オレンジビーチと呼ばれた。
遺体がたくさん残ったのを、現地人は埋葬してくれた。
アメリカはパラオの教科書に、日本がこんなにひどかったからアメリカが来た、と書いたら、これは違う!と反対が起こった。反日教育ができなかった。


陛下は長らく、英霊を弔いたい、と思われていた。ゆえに今回のペリリュー訪問となった。

陛下は今日も、国平らかに、民やすかれ、と祈られている。
昭和天皇陛下は戦争後も、すぐマッカーサー元帥のところに行き、自分はどうなってもいい、国民を救って欲しい、と言った。皇室の財産目録も持っていき、そのために使って欲しい、と渡した。


皇居の前は、米軍占領後、
皇居の中が荒れていたので、
宮城県の青年団を皮切りに、
皇居勤労奉仕が始まった。
それが日本中から集まり、これまで120万人にもなった。

自分のことを大切にしないと、ひとを大切にできない。
そのためには、自分の国に誇りを持つこと。
それには、過去に学ぶこと。

特攻隊の皆さんも、いま自分が命を捨てることで、必ず後生の人が継承してくれると信じて、行った。
我々は命の継承者。いい国にしていきましょう。