松陰先生の墓は、萩の団子岩とよばれる小高い所にあります。没後100ヵ日にあたる万延元年(1860)2月7日に、家族や親戚、高杉晋作、久坂玄瑞など多くの門人が建立したものです。
 
 表には松陰先生の号である「松陰二十一回猛士墓」と刻まれています。
 
 「二十一回猛士」の号は、人生で二十一回は必ず猛を奮い、誠を尽くして全力で物事を実行するという、並々ならぬ決意を表したものです(「二十一」という数字に関しては、「吉田」の字を分解して数字に組み立て直すとその合計が二十一に成ることから来ていると言われています)。
 
 脱藩やペリー来航時の密航未遂などの行動は、まさに「猛」そのもの。兄である梅太郎への手紙には、『すでに三回猛を奮ったので、あと十八回猛を奮うつもりである』と書いて自己を叱咤激励しています。

 その後、松陰先生は、号の通り猛を奮い続け、とうとう安政の大獄では命を落としてしまいました。しかしその生き様は弟子たちを奮い立たせ、維新成就の原動力となりました。
 
 松陰先生は有言実行の男です。私も心から尊敬しています。今に生きる私達も、松陰先生に学び、猛を奮って生きたいですね。