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松下幸之助はこう語った!

林英臣先生による、政経倶楽部での講話です。私としては連日の受講になります。


テーマは「松下幸之助はこう語った! ~そのオーラに直に触れた1期生が語る、とっておきの話」

昨日の国会議員林塾での懇親会でも、政治家の勉強会より、経営者の勉強会の方が、はるかに説得力を持って勉強になった、という議論がありました。
私もそう思い、たくさんの経営者勉強会に参加させていただいております。


その意味で今日は「経営の神様」と言われる、松下幸之助の生き様を、直に知る林先生から、存分に学ばせて頂きました。
谷口支部長からは1010年記念出版、私の応援者が


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松下幸之助の”御霊”は満足されているだろうか?松下塾長は、無念がある。
それを継ぐのが、弟子たる自分の役割と思い、政治家育成に頑張っている。


松下幸之助は、日本を心配し、政治を心配していた。どんなときでも、酒を飲んでいるときでも、京都の芸妓舞子さんがいるときでも、心配が湧き出てくる、と晩年は述べていた。


松下幸之助を動かしている、見えない力がある。
「本当のところ、何で塾をつくったのか、わしにも分からんのや」
松下幸之助は、見えないものを、強く意識する人だった。これは”天”と言う。いい事悪い事も、天と一体。天人合一。


松下幸之助は、天に常に祈りを捧げていた。特定の宗教というより、本人の気付きの中で、だろうが、「根源様」に祈りを捧げていた。
大宇宙の根源と、自分をつなげて、限りある人生で、より役割を果たせるようにしていった。
PHP研究所の本部の中にもある。
京都本部の中にも、迎賓館「真々庵」があり、松下幸之助が熱心に手入れをしていた。根源様と対話をしていた。


経営者というより、思想家、宗教家的であった。将来、そう評価されるだろう。人を作った人。人を育てた人。そういう日が来るだろう。
シュリーマンも同様。ギリシア神話を信じていた。まず発掘すべく、事業家として資金を作った。それから考古学を勉強し、学者となった。



「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。
万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」


天は、アマ。
ア、は、開く。
マ、は、時間と空間を指す。マ=間に合うのは、時間。距離を取る、のは間。
時空が開いたものを、アマ。
ただの天空は、アメ。アマは大宇宙。


イマ=今。
今をしっかり生き抜くことが、アマになる。天に通ずる。
アマとイマは、しっかりつながっている。


「真々庵」では、互いに活かし合う、という全体の調和を、非常に重視した。


「まことに人間は崇高にして偉大な存在」新しい人間観の提唱。
人間を肯定していない思想は多い。性悪説、原罪。
しかしあらゆるものを否定する人は、周りからもそうなる。
肯定観。


例…入社式で「君らは望んで入社したのではないかもしれない。
でも、入社したことを、良かったと思ってくれ。
そしてそれを思うだけでなく、口に出してくれ。親に伝えてくれ。
僕はいい会社に入社できた。頑張っていけると思う、と。
そう言うと、親は安心する。
そういう肯定観から、人生が開けてくる。


どんなに優秀な人でも、否定的だと、だからここに来たくなかったんだ、と言い始める。挫折することになる。
いい会社だと、次に友人に言って回れば、製品も買ってくれる。


徳治…仁。
礼治…恥。給食費未払い世帯など。担任が請求にいくと「頼んだ覚えはない」しかしこれは子供が可哀想。
法治…ペナルティが必要だ。


「任せて任せず」
任せ切らない。人間は肯定しているが、進化の途中で、不完全なこともある。
法家=法治思想、も使いこなした。
塾生に「工場はどうだった?」目力が一瞬強くなって、尋ねた。
塾生はスパイではないが、公然のスパイだった。
自分の耳目になる者を、各地に送っていた。これは韓非子の教え。


一聴。ひとりひとりにビシッと問い掛る。
「君、今日から役員会に参加やな。君、これはどう思う?」と追求。
ゆえに常にピリピリしていた。
事業部で起こっているトラブルも、直接
松下幸之助は、こわかった。こわいから、優しさが光る。
これで組織がまとまった。

よく松下は「金太郎飴」と言われた。
しかし経理社員は違った。

松下塾長同席の会のとき、全然細かいどうでもいい話をし出した。寮につけるシャワーの位置など(^_^;)
本来は天下国家を議論すべき。
キレて、皆に向けて、机を叩いて怒鳴った。「お前らそんなことを議論してる場合か!松下幸之助の想いを継ぐべきではないか?!」


松下幸之助「アホでも構へんから採っておくように」それで入ったのが自分。
入塾したら職員に「あ、君が林君か、君運だけで受かったからね」と言われた(笑)
3次試験は塾長面接。そこに残るような奴等は、猛獣のような奴等だろうと思い、メンチを切るつもりで、待合室に入ったら、優等生ばかりで拍子抜けした。


松下幸之助と相対したとき、受験生たちは「スーツを脱いでいいですよ、と言われたけど、脱いだ?」と相談していた。自分はそもそも着ていなかったが(笑)


「君の父親は何をやっている人や?」
に対して、「私の父は、職人です」と答えた。
実は松下幸之助は、職人を非常に大事にしており、人間国宝の支援などもしていた。
技術があれば、この国は大丈夫だが、そういう支えがなくなると、国が傾く、と思っていた。それを後から知った。


「君は何をやりたい?」
「私は国手として頑張りたい」
「ほな国手としてがんばってくれなはれや」
合格したと思った。面接室にはいったときも、温かい目線だった。
あとで秘書に聞いたら、50数名、面接したが、林君一人が、終始松下幸之助の目を見て答えていた。


入塾後、会報を作った。それを松下幸之助に見てもらったら、
「結構やな、成功するまで続けなはれや」
何事も、継続するのが、一番大変。
成功するまで? …あとでわかったのだが、死ぬまでやらねばならない、ということ。もっといえば、死んだあとも誰かに継いでもらって続けなければならない、と気付いた。


かつて政治家や経営者には、魂に響く言霊をくださる、師匠がいた。
鐘が響いたあと、徐々にその響きが大きくなるような言霊。


社員様。我が社で働くことで、社員に幸せになってもらいたい。
繁栄や成長は、物心両面であるべし。
年輪成長。伊那食品工業に、日銀の黒田総裁が視察に行ったとのこと。


経営者は勘違いしやすい。能力は高いがわがまま=私の強い人間を、重宝しやすい。
見抜く方法は、目下の人への対応の仕方を見ればわかる。
賢い人は、ボーナスで応えればいい。役職をつけてはならない。
松下幸之助も、随分苦労していた。


いまも自分は、松下幸之助に学び続けている。