長州藩には、明倫館という、日本三大学府の一つと称された藩校がありました。しかし、町民・農民はもちろん、足軽なども入学できなかったのです。一方、松下村塾はこのような身分の隔ては全くありませんでした。松陰先生は塾生を「諸生」「諸友」と呼び、一人一人の長所を見出して個性を育て立志を説く、といった、人としての温かさが松下村塾の際立った特徴でした。

松陰先生が常に塾生に説いたものに「士規七則」と「飛耳長目(ひじちょうもく)」があります。

「士規七則」とは、松下村塾の綱領として扱われた、武士の心得七か条を書いたものです。要約すると、志を立てて万事の原点とする、友を選んで仁義の行いを助ける、読書によって聖人の訓を学ぶ、の三点であり、「これにより人と成る可し」と言っています。幕末の長州藩志士たちの人生の道標となり、志士たちを明治維新へと導きました。のちに日露戦争で活躍した乃木希典も,この士規七則を座右の銘としたと伝えられています。

また、松陰先生は、常に各地の情報を収集し将来の判断材料として備えるように、と、情報の重要性を説きました。これが「飛耳長目」です。脱藩してまで東北遊学をしたり、ペリーが浦賀に来航すると黒船を視察したり、などという行動力はこの「飛耳長目」あってこそだったといえます。

私自身も政治家として常に的確な判断ができるよう、「飛耳長目」を実践したいと思います。



(写真の出典:Wikipedia)