平川祐弘先生講演!

昭和の日記念式典にて、
敬愛する平川先生の講演をお聞きしました。
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以下、備忘録です。文責不問にて。

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脱亜入欧し、第一外国語は漢文から英語になった。脱漢入英。
これは幸福なことだった。
英ヴィクトリア朝の勤労倫理は「Self Help」自助だった。


サミュエルスマイルズは、スコットランド出身、中産階級。
産業革命のヒーローは、地主ではない。発明家や経営者。


その「自助論」は、空前の大ヒット。
英国は人口も識字率も、日本以下だったが、25万部売れた。
世界でもベストセラー。
そして最も売れたのは、日本。日本で英語の本が一冊丸ごと訳されたのは、これが初めて。西国立志編。100万部売れた。英国の4倍。
訳物の中村正直は、昌平黌出身、漢学者。しかし勝海舟と友人で、英語もやった。
徳川方も、政府方も、若者はみんな読み、希望を持った。
(学問のすすめ、は350万部と、世界最大の販売)
ヴィクトリア朝と、明治日本が、精神的につながっている証し。


「天は自ら助くるものを助く」
フランクリンの
God helps them that help themselves
これは敬天愛人。西郷隆盛が信条とした。


西国立志編を日本では教科書にしていた。
中村正直は、教育勅語の原案も最初に書くように委嘱された。
そこで、敬天愛人、と入れたら、井上毅に修正された。近代国家は心の問題に介入しない。
しかし「爾臣民、父母に孝に、兄弟に友に…」の内容は、西国立志編と同じ。


福祉国家に甘えて、失業保険に頼る人が増えれば、国は滅ぶ。
一時、イギリスでも、自助論は売れなくなり古臭くなったが、サッチャー時代にまた売れた。


大英帝国最盛期に、夏目漱石はロンドンに留学。絶対にかなわないと思った。
大変悲観的。
日本は昭和期は、戦艦を自前で作れるようになったが、日本軍人の素質は、落ちた。
そういう顛末を、漱石は見通していた。
しかし昭和後期を見通していなかった。戦後の新幹線は、西欧より早く、正確に、着く。


英国は、自分達の植民地支配をどう考えているか?
サッチャーが、ヨーロッパ政治家に演説した。
How Europeans explored and colonised and --- yes, without apology --- civilized much of the world is an extraordinary tale of talent and valour.
サッチャーは、植民地支配について、何も謝る必要はない、と言ったが、
村山首相は、逆。
世界的に見て、日本の台湾統治は極めて成功した例。


自分は昭和6年生まれ。いつも腹を空かせていた。
帝国主義の功罪。
負けるような戦争をした日本は愚かだった。
しかし昭和天皇崩御のとき、英紙インディペンデンスは、日本軍の失敗と天皇の責任を結びつけるのはおかしいと、擁護した。


シンガポールは、はじめは反日的だった。
かつては英領だったので、1945年に日本軍が降伏した写真からだった。
しかししばらくして、山下大将がパーシバルに降伏を迫った絵画が出るようになった。
そして「日本はロシアを撃破した。これはアジアが初めてだった」
日本を擁護しているのは、西洋植民地支配から脱却していっていたから。


そしてオーストラリア兵士の言葉も。
「シンガポール陥落後、アジアは変わった。英国人にとって、もう同じにはなり得ない」と言っていた。
日本の大東亜戦争は、反帝国主義的帝国主義戦争だった。


外務省では、歴史の二面性について話す、修辞を学んでいない。
そもそも言葉がうまくない。だから相槌しかできない。


昭和は激動期だった。その総括には、複眼が求められる。
世界史の中で、ヴィクトリア朝は、産業革命を果たし世界最強だった。
昭和の御代は、敗戦を経たが、経済大国として復活した。
二つの時代があった、昭和期の方が、ドラマチック。
昭和天皇は、敗戦後も地位に留まり、国民復興の希望となった。
GHQは昭和天皇を利用したというが、ではなぜ国民は熱烈に支持したのか。
それは昭和天皇が、玉音放送をしたことや、226事件でのクーデターに厳しく臨んだ。
昭和天皇の意を体する、側近が多かった。


アメリカ独立戦争で活躍した、フランスのラファイエットは英雄。
シンガポールを落とし、植民地解放を成した日本は、違う評価。
昭和は、ヴィクトリア時代に匹敵する時代だった。