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毎月定例の、国会議員対象の、林塾に、今日も参加。
大変またよい学びを頂きました! 私も幕末期の切実さをもって、日本再建のため命を賭けていこう、そう再認しました。

以下備忘録です。文責不問で。

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◯宮下先生(財務副大臣) 世話人

予算・税制審議が佳境だが、未来を切り開くべく党派を超えたこの勉強会で学んでいきたい。



◯林英臣先生

橋本左内。橋本が生きていれば、坂本龍馬は不要だったかもしれないくらい、偉人。
医者は、身分が低かった。
そのコンプレックスがあった。
長州藩の久坂玄瑞も同じだった。

緒方洪庵の適塾に学び、御書印番に。
藩主の思いを受けて、他藩と交流する役割を果たした。



当時の日本の問題は…1.外交問題  2.将軍後継問題
鎖国派も開国派も場当たり的だった。
その中で橋本左内は「鎖国を続けるのは不可能」
ただ、開国するだけでは他国同様侵略される。
ゆえに開国しつつ、強い国にならねばならない。


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後継問題では左内は、一橋慶喜を立てて、雄藩連合で救国政権を作ろうとした。
慶喜出身の水戸藩、尾張藩、越前藩、薩摩藩といった、名君のいる藩で。
これまでは政治に関われなかった、御三家も入れたりして、挙国一致しようとした。
井伊直弼は紀州派。一橋派は負けた。安政の大獄によって。これは改革派潰しだった。
改革は二の次。既得権益を守るためだった。



橋本左内の識見の高さは、外交論でも顕著。
当時の大国は、英か、露。米はまだ南北戦争。
英露との外交が日本の命運を握る。
二つと同時に戦うのは危ない。片方となら、全滅は避けられる。
その上で、近くの国と結ぶべき。ロシアと組むべきと訴えた。

⇨いまの日本で、50年後、100年後の日本を掲げている、そういう勢力が我が国に現れねばならない。



西郷隆盛は、橋本左内からもらった手紙を、20年間肌身離さず持ち歩いていた。
かつての同志であった、左内の思いを、受け継いだ。志のバトンを受け継いだ。



「啓発録」…橋本左内が15歳で書いた。実年齢は12歳ほど。
左内は書いて10年経ったころ、10年前の啓発録を見つけ、読み直した。そこで愕然とした。10年前の方が自分は真剣だった。
矢島あきら。友人。彼に啓発録を読んでもらった。そして、橋本くんが、なぜここまで成長できたのか、よくわかった。
かつては若い頃はいき盛んだった。しかし大人になると、少しずつ欠けていく。当時左内はおとなしかったが、そのあと大活躍している。逆に激しかった連中はみな小さくなった。その理由がこの啓発録にある。



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啓発録の中身。
⒈稚心を去る
⒉気を振ふ
⒊志を立つ
⒋学に勉む
⒌交友を択ぶ



⒈稚心を去る

稚心をとり去ることをもって、士の道に入るはじめとなる。

これを1番に置いたことに、14歳の左内の、ただ者でなさがある。
しかし当時の武士には、同様の思いを持つ若者も多かった。
いまの成人式も、同窓会ではなく、稚心を去ることが大切。


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⒉気を振ふ

「気」は、米を炊くと、蒸気が沸く。負けん気。

龍馬は脱藩する。その前に会っていたのが、久坂玄瑞。
なぜ行ったか。土佐勤王党=武市半平太の使いでいった。
行ってみたら、5歳も年下の、久坂玄瑞が、全国を動かしている…!
当時から、3藩が、倒幕の密談をしていた。その碑が松陰神社にある。地元の人からすれば、こちらこそが志。

高杉晋作は上海に行った。そこで中国人が下僕のようになっている様子をみて、日本への危機感を抱く。
悔しさや危機感が、「気」




⒊志を立つ

志によって、気が集中していく。
孟子「志は気の帥」 何をやるのかがはっきりした状態。

「志」は、上半分は「之」…行く様子。心が指し示すもの。

松下政経塾では何度も、志は立ったか?と、松下幸之助に尋ねられた。
はじめは、志があったから入塾したのでは?なぜ何度も聞くのか?と思ったが、
志は、なかなか維持が難しい。デリケート。放っておいたらすぐ萎える。だからこそ尊いと気付いた。
「自分を磨く」「世の役に立つ」の2軸で考える。その志を貫く先に、幸福がある。
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⒋学に勉む

知識→見識→胆識
志がはっきりしていると、勉強もよく学べる。



⒌交友を択ぶ

志を立てると、出会う人が変わる。


橋本左内のことを紹介した「すべては志から始まる」という冊子を、中学生向けに、昔書いた。いまでは大学生に丁度いいと言われている。



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史実をたどり、現代への示唆としたい。

前中後期は、解体工事、地ならし、基礎工事・柱建て。
左内は雄藩連合に画策。しかし徳川体制を残す前提だった。

安政の改革。講武所で洋式軍隊の修練など、いいこともやっていたが、
安政の大獄で、一橋派は徹底弾圧した。
違勅調印によって、尊皇派に火がついた。幕府は調印した開国派なので、尊皇派は攘夷となった。尊皇攘夷と佐幕開国派が大抗争。
これを乗り越えるべく、公武合体運動。長州は攘夷や長州征伐。薩摩藩は薩英戦争。薩長は攘夷が無謀なことを知る。

後期に、それに応える動き。
薩長同盟。憎み合っていた2藩を、坂本龍馬が結び付ける。
幕府は家茂が亡くなり、慶喜が将軍となる。

橋本左内の動きは、幕府体制を崩すことに。
安政の大獄での幕藩体制確立も頓挫。攘夷も頓挫。そして倒幕となった。



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リーマンショックは、旧来の膨張資本主義の限界を表す。
尖閣問題は、一国平和主義では不可能であることを示した。
震災で、いままでの享楽的な生活ではいけない、成長すればいい、では立ちいかないことが判明。これまでの文明ではダメだ、という動きも、一度出たが、また収束してしまった。
アメリカの指導力低下、テロの勃興も起きている。
与党とか野党とか、そんなことを言っている場合ではない。



安倍政権は、井伊直弼のようになるかも。自民党は、過去からのジレンマを抱えている。
その結果、国民の、様々な不満が高じてくる可能性がある。
過去の延長上に、日本の未来はない。
幕末期の中期のような、公武合体も必要では?たとえば自民と維新で組む?
党派を超えて、日本の危機を守り切る政治勢力が、起らねばならない。
新体制に向かわねばならない。
そのとき、この勉強会に集っている皆さんが主役となって、作って欲しい。


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何歳になっても、稚心は去らねばならない。
広島の黒田選手は、あと何年できるかわからない。死に場所を探してやってきた。
自分も、思想家として、あと20年ある、と思ってはならない。日本がそこまでもつかわからない。

橋本左内でも、10年前の自分の文章に愕然とするくらいだ。世に出ていない頃の自分の原点を、忘れないこと、ブレないこと。
それが指導者の姿。