以前も講話を拝聴した、諸橋茂一さんの、政経倶楽部での講話に参加すべく、朝から上京しました。
※前回記録
テーマは「河野談話・村山談話は白紙撤回すべきである」
前回同様、大変素晴らしい講話でした。多くの日本人に、この話が常識となって欲しいです。
そのために、私も教育改革に頑張ろう、そう改めて思いました。
以下備忘録です。文責不問で願います。
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◯諸橋茂一さん講話「河野談話・村山談話は白紙撤回すべきである」
22歳で創業してから、いろいろあった。倒産寸前の時期も何度もあったが、自分が諦めたらダメだ、と乗り切ってきた。
仕事の基本210ヶ条。
・会社は人生道場。社業を通じて人間的成長を果たし、国家国民に貢献するにある。人間として、日本人として、日々何かを学びとらねばならない。
・我が社には柔道場がある。毎朝6:20に出社し、徹底的に掃除する。これは冬は辛い。しかし人間は、辛いことを通じて、自分の心が磨かれる。
・今日という日は再び来ない。悔いなき一日を重ねれば悔いなき一生となる。
・今日仕事があること、家庭があること、そういった普通のことがあることに深く感謝すべし。
・建築物は国家社会の大きな資産。当社はそれらを、我が国の安全性を保持する。
大切なことは、言うだけではなく、文章にし、繰り返し唱和することで、潜在意識に刷り込まれる。
毎朝掃除のあと、筋肉トレーニングし、10ヶ条ずつ唱和し、仕事に入る。
夜も、遅くまでみな働く。責任感がみな強い。2:6:2の法則というが、我が社は10:0:0。経営者が真剣に、日々社員を教育すれば、そうなる。
経営者は強い使命感を持たねばならない。
そして歴史観も、政治家のみならず経営者も持つべし。でないと狭くなる。
日本は素晴らしい歴史、文化を持っている。
・法隆寺は世界最古の木造建築。
・東大寺は当時世界最大のお寺。
・世界最大のお墓である仁徳御陵。
・東京圏は世界最大の大都市。
・新幹線も地下鉄も時間に正確。
・ゴミも落ちていない。
・江戸時代も東京は世界ダントツの大きな都市であり、世界一綺麗な町だった。他国、たとえばネパールでは、牛の放し飼いで、汚物が道にあふれている。
日韓併合時の、韓国の平均寿命は24歳。日本が大幅に改善した。
小学校5200校・師範学校1000校で、4%の識字率が61%へ。
鉄道、道路、ダム、発電所、6億本の植林…
「真実の歴史を知らない」
南京事件。
はじめは自分も、30万人などはないが、民間人が多少は巻き添えになったか…と思っていた。
しかし徹底的に調べたが、一人も民間人はやっていない。
国民党が支配していたときは、兵士は乱暴狼藉の限りを尽くしていた。しかしわずか4日の戦いで、国民党軍は総崩れ。
しかしその兵士の一部が、民間人に紛れ込み、便衣兵となって日本軍に攻撃してきた。
ゲリラは当時から、その場で射殺しても合法。
当時から日本軍は極めてまともな軍隊。
民間人を殺してはならないとして、日本軍は、南京の民間人を全員チェックした。兵士の帽子の影がないか、銃の使用後がないか、など。こんなことをする軍はない。
王毅・前大使が金沢に来たとき、聴きにいった。
その場で、日本の首相は靖国参拝すべきでない、など言い始めた。その場でよほど抗議しようかと思ったが、大学も苦労して呼んだのだろうから控えた。
そのあと、殺されるかも、と思いつつ、抗議文を送った。
日中国交回復のとき、対日工作書がある。そこでは中国のために工作せよと繰り返しかいている。ハニートラップも当然ある。その覚悟が必要。
平成19年11月20日、産経新聞が、中国のシュウガクキン教授の記事を載せた。南京大虐殺というが、犠牲者の名簿は実は一つもない。
広島長崎では、亡くなった方の名簿が、ほとんどある。一瞬で丸焦げになったとしても、必死に整備した。
このことに関し、中国政府は抗議をしなかった。というか、南京大虐殺などなかったのは知っており、しかし外交カードとして利用している。
外交の基本の一つは、お互いに内政干渉しない。日中共同声明にも書いてある。
「それを知らないんですか?」と優しく言い返せばいい。
円周率の数値も、日本人が計算した。村松重清、1663年。
関孝和も、小数点16位まで計算した。
そういったことを知らない。教えられていない。
当時の軍部は馬鹿ばかりだった?
違う。今と比べればはるかに立派。
A級戦犯7名も、死に直面しても、誰も泣き叫んでいない。粛々と刑を受け容れた。
世界でみれば、いまの日本人でも、世界ではるかにレベルが高い。
当時の日本人は、政治家も国民も、もっとレベルが高い。
鹿児島県知覧の特攻平和記念館。
平和、とついてるものは、左翼が多いが…
記念館も徐々に展示が減り、解説もおかしくなっている。最期は「お母さん!」と言って亡くなった、というが、そんなはずはない。いまの日本人でも、最期にそんなことは言わないだろう。心には思っても。
日露戦争は確かに無謀な戦いだった。
大きなプロレスラーに喧嘩をしかける人がいるか? 戦力差は20対1。勝てるはずがなかった。無謀だった。けど勝った。
日本海海戦は、世界の海戦史上、類のない、完勝。東郷平八郎は世界の3大元帥と言われている。
オランダには、日本偉人ビールというものがある。東郷平八郎など12人の偉人が貼ってある。
日本でこそ発売されるべきでは?
村山談話(平成7年)を告発した。
村山側は6人の弁護士。私は本人訴訟。
弁護士は、最高裁までいったが、村山談話の正当性を全く説明できなかった。
河野談話(平成5年)も訴えた。
当時の河野洋平は衆議院議長。それを訴えるのは生半可ではない。刑法172条に告訴罪というのがあり、訴える根拠が薄弱だと、訴えた側が訴えられる。
「意思に反して」公文書に虚偽内容を作成発表した。
結局、時効が7年のため、立件できない、となった。私が訴えたのは平成19年だったので。
大東亜戦争での戦力差も、教えられていない。
当時、戦力差は、あまりなかった。
戦力差を、当時の指導者は知らなかった、と思われている。しかしそれは真っ赤な嘘。
日本が主に戦ったのは、米国太平洋艦隊。米国は大西洋艦隊と両方あり、太平洋艦隊と日本海軍連合艦隊とは戦力差はあまりなかった。戦艦大和、戦艦武蔵は当時の世界最大で最新鋭。機動部隊を編成できたのも当時、日本のみ。
暗号が読み取られていたのは、海軍。かつ、戦争が終わるまで、暗号を変えなかった。実際、真珠湾攻撃のとき、なぜか外出禁止令が出ていた。
米国側は、はじめから、日本と戦うつもりで、軍備を備えていた。外交交渉はのらりくらりとはぐらかしていた。
昭和15年、日米修好通商条約を一方的に破棄。
昭和16年、在米日本資産を凍結。
そのあと、石油禁輸。当時アメリカから日本は79%輸入していた。禁輸措置は他国も追随、日本は止めを刺された。
昭和16年11月、ハルノート。実質、宣戦布告。
翌日ルーズベルト大統領は、日本に対して、いつ開戦してもいい、と指令を出している。
そこで日本指導部は、苦悩した結果、立ち上がった。
戦後、軍部が暴走したように教えられていたが、それは全くのウソ。アメリカの史観。
戦後アメリカは6年8ヶ月、日本を統治。
アメリカが日本に民主主義を教えてあげた…軍部独裁から解放した…と教えた。
真っ赤な嘘。
日本こそ、17条の憲法にあるように、世界最古の民主主義国家。
戦後、朝日新聞、その他NHKや毎日新聞などが、WGIPを遂行した。
朝日は昨年8月5日、慰安婦報道に関する間違いを認めたが、社長が辞めたくらいでは済まない。
「日本は悪い国だ」と、教育やマスコミ報道で繰り返し続けた。
プレスコードがある。昭和20年9月18日、朝日新聞は、原爆投下は国際法違反だ、という本当のことを言った。そしたらGHQは朝日新聞を発禁にした。
プレスコードはまだ生きているのか?と杉田水脈代議士が質問。
政府答弁は、昭和27年消滅。しかし実態は、残っている。
これによって、日本人は戦後70年間、真実を知ることができなくなってしまった。
プレスコードには、憲法制定過程も、触れてはならないとなっている。
これを戦後日本の政治家はそのままにしてきた。大きな罪。改正するのは当たり前。
戦時国際法ハーグ陸戦条約第23条に違反している。占領下で、基本法を変えてはならない。
「東京裁判傍聴記録」がある。その本の冒頭に書いている。清瀬一郎がウェッブ裁判長に「この裁判の法的根拠は?」と尋ねたが、答えられなかった。沈黙の後、その件についてはのちほど答える。
のちに、ウェッブ裁判長は、東京裁判は誤りであったと述べている。
キーナン主席判事も、同様に言っている。
結局、はじまったのは、マッカーサーの、チャーターという指示書が根拠。
その張本人であるマッカーサーでさえも、のちほどトルーマン大統領に対して東京裁判は誤りであったと言っている。
東京裁判のキーマン3人が、誤りであるといっているのに、東大法学部ではいまでも、こういったことは教えていない。
マルクスレーニン主義が正しいと思い込む、学生こそが、おかしい。
東大安田闘争とか、馬鹿なことをやっていると思っていた。
自分達の正当な言い分があるなら、学長と一対一で話せばいい。なぜ徒党を組んで、暴動しているのか?
左翼思想が正しいと思い込んだのだろう。その流れが、加藤紘一、鳩山由起夫など。
昔は、共産主義社会主義の方がいいものであるように教える教師が多かった。
中学のとき、先生に、どんな国家体制が理想ですか?と質問したら、みんな平等な共産主義がいい。
私はすぐ反論し、なぜ資本主義と共産主義、2つしかないと決めつけるのですか?二者択一を迫る考え方自体が間違っている。
資本主義にも、社会主義にも、いいところがあるから取り出せばいい。
そう言ったら先生が怒り出した(笑)
先生も、正しいことを教えるとは限らない、と気づいた。
しかし真実を知れば、日本は素晴らしい、日本民族は素晴らしい。日本の誇りを取り戻さねばならない。
◯行徳哲男先生
森信三先生「人間には、求めている心さえあれば、一瞬も遅くも早くもなく、出会える」
新潟のピコリという会社、近藤会長。彼はラストサムライ。諸橋さんもそう。
1855年11月、デンマークのコペンハーゲン。キュルケゴールが亡くなった。
彼は国教である教会を、公然と批判する。
人間は、なんとなく生きる、というのは罪ではないが、人生を無駄に過ごしているのは罪だ。
野生の鴨。
頭山満とは、どんな人物だったのか?
大隈重信は、爆弾で片足を失ったが、直後に自決した画策人の来島に対して、立派な弔辞を述べている。
頭山の、門下生。
南京記念館に行った。
どうしようもない怒り。
そのあと、孫文の墓にいった。
そこにあったのは、梅屋庄吉の言葉。
韓国中国人は、日本人を舐めている。
かつて孫文は大アジア主義を掲げ、欧米人からアジアを守ろうと掲げた。
銃を突きつけられたとき、頭山満は、人はいつか死ぬ。だからタバコをくれ。そして煙を銃口に吹きかけた。それで銃口がぶれていた。人を殺めるときは、一発で仕留めろ。それが殺し屋の仁義。
その横にいたのが中村天風。柔道でぶん投げた。そのあと、忘れ物があるぜ、といって、銃を渡した。
日本人を強くしよう。
★最後に、日頃から身体を鍛えられている諸橋会長の、全身をうでだけで支えるパフォーマンス。すごい!!