山本五十六は、大東亜戦争で勇敢に指揮をとった人物として知られていますが、開戦に至るまでは戦争を回避しようと尽力した人物でもあります。


アメリカでの勤務や視察を経て、世界規模での視点から日本を常に捉えていたため、開戦への危険を人一倍理解していました。
 

大東亜戦争の要因である日独伊三国軍事同盟に締結前に、山本はこれに大いに反対。アメリカの敵対するドイツ・イタリアと手を組むことは対米戦争の危機を増加させるだけで何の利益もないと主張しました。


しかし、世論の波にのまれ同盟は締結。対米関係は悪化します。
 

締結後、山本は帝国海軍連合艦隊司令長官として、自ら回避に努力した戦争の指揮官となります。戦争回避から一転、職責を果たすため山本は真珠湾攻撃の計画を行い、早期決戦、早期和解を目指しました。
 

真珠湾攻撃を火蓋に勝ち続けますが、ミッドウェー海戦を機に厳しい戦いを強いられます。厳しい戦況の中、山本は前線で兵を直接激励したいと危険を顧みず現場への視察を敢行。そしてその航空移動中に攻撃を受け、戦死します。
 


国際的視野をもって開戦の回避に尽力した一方、戦争が始まれば命を賭して職責を果たした山本は、国への責任感を持った素晴らしい軍人だったと言えます。責任を持って物事を取り組む、尽力することを我々も今一度見習いたいですね。