台湾発展を支えた人物として後藤新平がいます。


台湾は、日清戦争後、清国から日本に割譲されました。しかし、日本の領土になることを好まない住民による抵抗、また伝染病の発生により統治は難航していました。その中、台湾に向かった後藤は、日本の行政制度を強引に持ち込むのではなく、台湾の慣習や社会制度を尊重しながら、その土地に合った方法で統治を行いました。



後藤の政策の特徴は大規模で計画的で徹底的なことでした。破格の予算を確保し、徹底的な土地と人口の調査、鉄道・通信網の整備など、台湾全体のインフラを整備していきました。


特に、上下水道の整備においては、東京にもない最新鋭の設備を導入し、伝染病を激減させました。インフラ整備に伴い、産業も盛んになっていき、結果、台湾は統治から10年で本土からの経済的支援なしで自立経営ができるほどに成長していきました。


その成果は、今日の台湾の繁栄に繋がっています。後藤は今でも「台湾近代化の父」として台湾人に慕われています。
 

収奪による植民地支配ではなく、繁栄させるという志の元、現地の人を良く知り、政策を行動していく姿は日本ならではです。日本は、朝鮮半島など統治した国に対してインフラを整備したり、産業を発展させたりと献身的にその国を支えた事実が多くあります。この事実をより多くの方に知っていただきたいですね。