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中山恭子先生講演!
私の経済応援団、経済維新の会に、中山恭子先生にお越し頂きました。

大使や拉致問題に実務をされ、国際社会の実態をよくご存知の恭子先生ならではの、強いリアリティのある訴えで、お越しの皆様多くも、感激していました。
次世代の党は、本当に、自主憲法制定など、世界でやっていける日本を取り戻さねばならないと、痛感しました。

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ウズベキスタン大使になったとき、キルギスで日本人4人が拉致された。しかし外務省からの指示は、情報収集のみ。キルギスに全てまかせろ。

疑問を持った。主人の中山成彬に国際電話で相談したら、1%でも救出可能性あるならやるべきだ。
そこで大使館員に相談したら、やりましょう!嬉しかった。

テログループは拠点がタジキスタン。決死の交渉をした。相手のトップは聖職者のヌリ党首。銃を構えた兵士がいる部屋で。
聖職者が「日本はいい国ですよね。自分はおしんを見た。できる限りのことをする」

そのあと武力の頭領にあった。
まあ、なんて素敵な方でしょう!と思わず呟いた。そしたら、それは親のおかげだ… と話が弾んだ。
そこで救出をお願いし、なんとか成功した。

日本の外交は、戦後ずっと、普通の状態ではないことが続いている。
外務省は、相手との友好関係を作る、しか考えていない。それしか許されていない。
このことを覚えておいて欲しい。


中央アジアで日本人が被害にあったら、大使が命懸けで行動する。このことが現地に伝わり、非常に信頼関係が強まった。

カリモフ大統領と、小泉総理の親書を持参した中山成彬との会談。
大統領「日本は敗戦病にかかったようだ。まだ治っていない。早く本来の日本に戻って欲しい。そして中央アジアに入ってきて欲しい」

また、ナヴォイ劇場を作ったのは、設計はロシア人だが、建設は日本人。1945~48、シベリア抑留で。プレートには、ロシア語とウズベキスタン語と日本語で書いている。
大統領「ここの表記が.日本人捕虜が、となってたのを、日本国民が、に直したよ」
日本人は手を抜かないことがわかった、と言われた。


ウズベキスタンでは、日本人、と言うだけで、信頼される。心が似ているそうだ。
日本ではあまりウズベキスタンは知られていないが、ウズベキスタンは日本をよく知っている。
建国のモデルも、日本だ、と大統領も言っていた。


ウズベキスタンの水力発電は、運河による。これも日本人が建設した。これも現地の人は覚えている。

日本人墓地は13ヶ所。整備はされていないが、更地にはされていなかった。
ウズベクの人が、みんな日本人を尊敬しているよ、と言ってくれて、日本人墓地を管理してくれた。


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2006年、安倍政権で、拉致問題担当補佐官になった。

外務省は、国交正常化などはやるが、航空協定は国交省。外務省だけだと、相手に妥協した約束になりやすい。

ジェンキンスさんの説得を小泉総理がしたとき、ジェンキンスさんは、ひとみをなぜ連れて来なかったのか?ばかり。子供も。つまり、指導員の言われた通りしか答えられない。

そこで、他国に行き、指導員と切り離して、しばらくして、やっとジェンキンスさんは、帰国を承諾してくれた。
私がジェンキンスさんに、なぜ総理から帰国を勧められたとき、承諾しなかったのか?
ジェンキンスさんは、なぜそんなことを聞くのか?もし承諾してたら、そのあとすぐ殺されていた。
そういう世界。


北朝鮮は、トップが決断しない限り、動かない。
外務省は、その証しがないまま、交渉している怖れがある。懸念している。