エルトゥールル号の難破事件により、日本とトルコに大きな絆が結ばれたことを紹介しました。エルトゥールル号の事件から100年後、絆は再び強く結ばれることになります。
 


 1985年、イラクのフセイン大統領が、突如「48時間後、イラン上空を飛ぶ航空機は全て撃墜する」と宣言しました。各国は自国民を救うべく、続々と飛行機をテヘラン空港に向かわせます。その中、日本だけが飛行機を向かわせられずにいました。日本政府は他国に救援を求めますが、各国も自国の対応に手一杯な状況。



 脱出ができない200名の日本人が絶望の淵にたたされている時、トルコに駐在していた伊藤商事の森永堯氏が、親友であるトルコのオザル首相に救援を依頼しました。


 どの国も断る危険な状況の中、唯一オザル首相は特別便を飛ばすことを決断したのです。トルコ人も多くヘテランにいたのですが、陸路でも近隣のため脱出できる自国民に対して日本人を優先して飛行機に乗せてくれました。

 
日本人全員を乗せて飛び立ったのはタイムリミットの1時間程前の事。ギリギリの救援劇でした。
 


 後日、トルコが日本人を救出した理由として駐日トルコ大使は「エルトゥールル号の借りを返しただけです」とコメントしました。
 

 
100年前の繋がりは今もなお続いています。先人たちが遺してくれたこの絆をこれからより一層深めていきたいですね。




(写真の出典:Wikipedia)